島田荘司選 第3回 ばらのまち福山ミステリー文学新人賞 選評
はじめに

今年の福ミスは、異様なまでの高水準であった。ざっと俯瞰した限りにおいては、候補四作すべてを受賞作として何ら問題はない、と言えるほどの秀作ぞろいであった。それは常識的でないと、今年に限りバーを心持ち高くして、無理にでも一作に絞る、あるいは無理にでも二作程度は落とす、とやるのはフェアでないように思われた。  こういうことは、鮎川賞の審査をはじめて引き受けた年、谺健二、柄刀一、氷川透、城平京、四氏の応募作が集合していた年以来の経験である。明らかに、時代にまた何かが起こりはじめている。この点は見逃がさないようにしなくてはならない。
 作内部に入って点検してみれば、うち二作には、浅くない傷も見受けられた。しかしこの傷は、創作経験不充分の者が、挑戦的な仕掛けを作に導入したがため、生じた混乱とも言えて、悩まされることになった。
 またそのうちのひとつは、未聞の殺人トリックを創案してもおり、この手柄は考慮すべきだった。また傷の手当てをうまく施してくれるなら、この二作が、他の二作の出来を越える可能性もあった。
 問答無用に、応募時点での出来で判断するのがフェアである、とする考え方には、以前より疑問を持っている。これは応募作に、小さく無難にまとまることを要求しかねず、審査に減点法の侵入を許す危険がある。そうなら中央各賞の不備の轍を踏みかねず、新賞を用意した意味がない。むろん当賞においては審査員は私一人なので、こちらがしっかりすればよいことではあるのだが。
 考慮のすえ、このような事態、いかに型破りであろうとも、二作を受賞、二作は優秀作とするのが筋と考えた。その様にして、新たな時代の開始を見守るのがこちらの勤めであろう。
 いずれにしても、地方の小賞を信頼し、作を投じてくれた在野の各才能に対しては、深く感謝の意を表したい。そして今、彼らを世に出す手伝いができることを嬉しく思うものである。各人に期待を託し、彼らが雄々しく時代を変え、また牽引してくれることを願っている。

島田荘司
選評「鬼畜の家」(著者:深木章子)

 日本の物造りを長く支えてきた団塊の世代が先年大挙して退職し、老人予備軍としての余暇生活に入った。彼らは優秀な人材を多く含んだが、後進を育てることはあまり得手ではなく、某楽器メーカーは、ピアノが鳴らなくなるのではという心配をしていた。
 大部隊の彼らは、物造り以外の局面でもよくリーダーシップを発揮し、日本社会の各局面を表裏で支えてきた。外交の第一線に立っていた者もいるし、専門技術によって特殊な機械を操作、人のしない体験を積んだ人も多い。
 東京は今、四人に一人が老人という時代の門口に立っている。間もなく団塊の世代が老人グループに合流すれば、そういう時代が現実になる。そして二〇四〇年前後には、日本人全体の四十一%が老人になるという予想もある。
 老人とは、六十五歳以上の市民のことで、老人半数時代は、世界に先駆けてまず日本に起こる。しかもこれら老人のうちの六十七十代の大半は、医者とは無縁の健康体を持って暮らしている。こういう時代になれば、もはや老人のイメージも概念も、地球規模で変わらざるを得ない。彼らは単に経験を多く積んだ国民なのであって、作業不能を宣告された者はわずかである。そういう人材にこれからどんな仕事をしてもらうかが、これからの日本の成長のキー・ポイントとなる。
 日本の本格ミステリーのフィールドもまた、彼らのうちの資質ある有志の参加を望んでいる。「人生わずか五十年」の時代は終わりを告げ、「人生八十年」の時代、長い余暇を獲得した彼らに、とりわけ特殊な技能や体験を積んだ人に、もうひと仕事をしてもらわなくてはならない。有能な彼らに、これからの長い時間をただ無為にすごしてもらうのは、国家的損失である。俳句作りに精を出すのなら、いっそもう少し長い文章を書いてもらってもかまわないはずだ。
 このところこういう主張を繰り返してきている自分であるが、この作を読み、団塊の世代にひそむ才能という自分の予想に、再度自信を深めた。この作には、勤めの義務を果たし、能力の成熟とともに余暇生活に入った書き手に、こちらが期待するすべてがある。いっとき喧しく言われ、使われた自然主義文学ベースの物差しを試しに持ち出せば、文章力、人間描写力。日々の生活を律している法的発想への理解、その用語の的確な使用。医学発想や、その専門用語の正確な理解。
 社会を埋める、利口ぶった人間たちが抱きがちな俗な発想。とりわけ女性たちの赤裸々な金銭欲、損得勘定、そのはざまに、計算されて滲出する性欲。日々平然とつかれる嘘。慣習的でごく自然な見栄・自慢の発想や、威張りの欲動。自身が上位と信じる者による他者睥睨の常識、これによって強力に育まれていく虎視眈々の報応感情──。  社会を埋めて蠢く、こうした通常的欲動への冷めた洞察と把握が、過不足のない描写の筆から滑り落ちる時、それ自体が勝手にジョークに身を変える。これこそは、達意の文章境地だ。新人にしてあっさりとこんなことができるのは、やはり熟年作家ならではであり、経験豊富な手が、自然に行ってしまう手技というものであろう。  実際、名人看護師の手技を思わせる新人離れのした手管は、作中に数多く見えている。この物語は、時間軸に沿って語られることはせず、もと警察官の私立探偵が、事件関係者に次々に会って歩き、証言を取るのだが、その関係者の証言が、語り口調のまま無造作に並べられ、読者の目に供される。
 これらはすべて読み手の推理のための材料のひとつひとつであり、これを使って読者は、脳裏に自分で物語を構築しなくてはならないわけだが、この素っ気ない提示のありようそれ自体が、ある隠蔽のための仕掛けとなっている。
 そもそもポー以降のミステリーは、アングロサクソン男性たちの気取ったサロン文化で、いうなればこぎれいに調理され、瀟洒なテーブルに載せられる、上品な肉料理のようなものであった。しかし、別容器に取り分けられ、隠されたまま棄てられるはずのおびただしい臓物や血液を、遠慮なくテーブルにぶちまけ、臭気もものかは、素手でもぞもぞとかき分けて、好物料理がやってくる場所を冷静に解説するような本格ミステリーの時代が、始まってもよかった。
 フリルのドレスで取り澄まし、サロン文化では壁の花の位置を動こうとしなかった女性たちが、実は舞台裏ではなまなましく闘い、むき出しの欲得ゆえに血を流していた。その戦闘の行為においては、倫理観ゆえに逡巡するようなしおらしい気配はみじんもなく、何が自分に最も得かを冷静に予想しておいて、好機がくれば、瞬時の迷いも見せずにこれをかすめ取る。
 実の娘を殺す計画を日常的に練り、実の息子とベッドで交わり、この行為を恥と感じる純情など、負けを呼ぶから発想もなく、娘への勝利行動に用いようとするが、用いられる側は、母親の裏面の感情を読んで実行為の深度を測り、効果的反撃の準備を練る──。とこのような恐るべき世界の開陳は、あのアガサ・クリスティの時代には、エリザベス朝時代の道徳観から遠慮されていた。
 しかし筆者の筆は、これらの展開をさも当然のように平然と活写し、その冷徹な筆は、研ぎすまされた刃の乱舞のようで、これがあの愛らしく、慎ましい女性たちの暮らす世界かと読み手は目眩を感じはじめる。はたしてこのような女のどろどろを、免疫を持たない男世界に開陳してもよいものか、などと心配を始める。
 さらには、これはエキセントリックな一部の女性においてのみ起こることであり、女性たちの内部に普遍的に存する負の感情とはして欲しくない、いやそのような約束事にしておいてもらった方が世は安全だ、などとおろおろ考えはじめる。
 ところがそのショック自体、そうしたつべこべ自体がまた、筆者の計算の範疇にあった。筆者は男性読者たちのパニックを先廻りして予想し、これを盾として使用した際の、真相隠蔽の強度がどの程度か、までをも冷静に計算していた。男の弱々しい分別が発動すれば、自動的に作者の術中に嵌まる仕掛けになっており、真相は背後の闇に没する。このしたたかな遣り口には舌を巻いた。
 それぞれの部品は無造作に並べられているように見えるが、実はそれぞれ、予想外の役割を担った歯車であり、可動部品で、互いに噛み合い、連携しながら着実に稼働して、全体としてだましと驚きのストーリーを進行させる。そのステディなリズムは、手だれの時計職人が組みあげた華麗にして古風な柱時計のようで、律儀な作動自体に、じっと眺めていたい美がある。
 この作は稀な完成度を誇る精密機械だが、唯一の弱点もその緻密さのうちにあって、これは手だれの読み手なら、あるいは骨董品のマニアならば、どこかで一度は見た時計だ。ここまで極限的に先鋭化、巧妙化、人工化したものはなかったものの、方向としては定型流用の範疇にある。たとえば横溝作の一部に、未徹底ながら、この方向のものはあった。欧米の悪女ものにも、傾向としての前例はある。
 この作例は、足もとの地面に、大きく深い穴を延々と掘り下げていくような営為で、未知の宇宙に向け、自作のロケットをどんと打ち上げるような蛮勇行為ではない。つまりは未聞のメソッドは切り拓いていない。
 けれど、これは減点対象とはできない。ここまで磨き、進めれば、もう充分に新しいというべきだし、福ミス受賞作の内に、こうした方向の作例がひとつ混じることには、大いに賛成である。

選評「檻の中の少女」(著者:一田和樹)

 当初、作者がこの作でやろうとしていることをよく理解せずに読んでいた。コンピューターの専門家で、システムがらみのトラブル処理屋だという男、君島悟がどうやら主人公らしく、彼が自殺支援サイト「ミトラス」により、息子を自殺させられた両親の依頼で、ミトラスの内部を探り、その解体を目的に動くらしい。
 しかし息子の死が謎で、殺された巧妙な方法、行った犯人、その動機を暴くというミステリーではないらしい。そうなら、見せているものが多すぎる。
 主人公は俗受けのするごく一般タイプの日本人で、超ミニ、なま足の茶髪ギャルに出会えば都度心を深く動かされ、彼女らから侮辱的な言辞をシャワーのように浴びても、ジョークをまじえてにこやかに対処する。
 この手のギャルは次々に現れ、それぞれがおちょくりと罵倒の発言を浴びせ続けるが、主人公はいっこうに懲りる様子もなく、あろうことかさらに、新宿歌舞伎町の、この手のギャルが重点的にひしめくデート喫茶まで訪れたりする。
 われながらバカだと自嘲し、芸能人とグラビアモデルを劣化コピーして、体重を二倍、知能指数を半分にした(これは別に半分にしなくてもよいと思うが)ような子ばかりと正確に把握しながらも、何かの間違いで無垢な子が迷い込んだりしてはいないかと毎回幻想を持ち、毎度裏切られて金を捨てている。
 自殺した青年、橋本有樹は、中堅の私立大を卒業、IT系の企業に就職、結婚して子供をもうけるが、不景気になって勤め先の業績が悪化、リストラの嵐に瀕して働きづらくなる。こちらもまた、実に今の世間にありそうな平均的男性である。
 終盤に至るまで、こうした平均的な日本社会を活写する作者の軽妙な筆に感心しながら読んでいった。登場する現代ふうの娘たちの、意地悪や傲慢発言のあまりのリアルさ、またその睥睨の目線は、日常的に繰り出されてくる男たちの俗な性欲に由来していること。男たちの方はやまれぬ欲求を自己卑下のコメディに粉飾してはいるが、手早く、後くされのない性処理を、恒常的に求めている。つまり娘らの傲慢は、この性欲しさの男の卑下に対応し、栄養を得て育ったものである。
 こうした男女の生々しい性介在のやりとり、さらには作者のIT業界への知識の深さ、プロ・レヴェルの専門性にも感心し、これらを載せて展開するステージはと言えばデニーズにスタバで、そのあまりにリアルな時代活写のセンスの数々に打たれて、作者がやりたいことはこれかと了解、意図通りの最先端ユーモア・ミステリーが、秀作としてここに現れているものと考えていた。
 日本の若者世界の巧みな描写、とりわけ軽妙なユーモアのセンスが、中盤から紙を置くあたわざる吸引力となり、賞選考の読書にもかかわらずのこの点がなによりもありがたかったから、この作はこれで合格と満足していた。
 ところが終盤、主人公が、
「お前と結婚して子供なんか作ったら、ハードルが上がって、オレはめちゃめちゃ弱いヤツになっちまう」
 と発言するにいたって、作者のたくらみがやっと解った。またこの作が象徴的に語ろうとしている日本という国情の変化について、思い当たることになった。
 これはすなわち、スマートでシャープな現代ふう私立探偵を描こうとしている、和製のハードボイルド小説であり、その開始である、ということをである。
 主人公に仕事を依頼する側は、君島のことを、腕利きのサイバーセキュリティ・コンサルタントと表現する。言われて見れば確かに、彼の事態把握の頭脳は切れ者のそれで、推理能力は一級品である。さらには時代最先端の職業であり、そのジャンルで非凡な腕と頭脳を持ってもいる。
 業界への理解も的確で深い。数億という謝礼を提示する犯人側からの誘惑にも、ちょっと迷ってコメディを演じては見せるが、すぐにしっかりとはねつける。  白い太ももがまぶしい未成年の美少女ギャルにも、こっちはかなり本気で迷って見せるが、やはりそれは彼一流の上層熟年層に向けた演技で、軽々に手を出したりはしない。ふと気づけば、君島はどこから見ても格好いい人物なのであった。こういうことが終盤になってやっと解った。
 確かに凄腕ではあるが、あまりにおどけと嫉妬逃がしの術がたくみなので、この点がよく見えない仕掛けになっていた。それどころか、この小説がハードボイルド小説であるという、一番肝心な点まで解らなかった。
 しかしそれは、あの「モルグ街の殺人事件」が、本格ミステリー小説であるとは、発表当時は誰にも解らなかったであろうから、トップランナーの出現とは、常にそんなものであるのかもしれない。ゆえにこれは傷ではなく、ある種栄光である。
 思えば日本は、先年まで経済競争力世界一を続け、ということは、実質的にアメリカの経済力に迫る勢いを見せていた。かつてのイギリスのそれに近づいていて、こういう新興著しい国なら、そろそろ本物のハードボイルド小説が現れていい。その素地と資格が国レヴェルで整っていた、そういうことなのであろう。
 しかしこの嫉妬蔓延と、自己卑下態度の徹底強制というサラリーマン国情下、敬語丁寧語が多すぎる日本語は、それを省略、格好よく言い切れば即やくざふう低脳感が漂い、丁寧すぎたらつい揉み手も加えたくなり、ではと過不足なく知的に発言すれば、嫉妬の嵐に直面して、出世はアウトとなる。
 嫉妬逃がしの好色をせいぜい演じていれば、いつの間にかこれが地となり、周囲の期待もあって脱出不能となり、自身の短躯短足、二次元的な顔面など思えば、英国ふうの気の利いた皮肉を口にするのもはばかられる。日本人に生まれれば、凄腕私立探偵は、思えば君島のこの位置に弾き出されるほかはなかったのである。ハードボイルド探偵国際集会でもあれば、国内同志からの強烈な足の引っ張りによって、末席の補助椅子的、この道化席しか与えられなかった。
 こう説明すれば、日本のおじさんたちは、深い苦笑とともに全員が納得、即刻の理解と同意が得られる。これが偽らざるわが日本で、そうなら、絶対に格好よくしてはいけないというわが厳しい規制の枠内で、この作者は日本式の私立探偵を、精一杯上手に描き出し、躍動させていたことに気づかれた。
 この作者は、いうなれば和製ハードボイルド第二世代にあたり、第一世代の北方謙三氏などがストレートに男の美学を歌い、裏面に隠した日本人型戸惑いの見抜きは読者に委ねていたが、この作者は読み手にそんな労は課さず、周囲の不興を呼ぶ男性的の腕前を、早々とおどけに粉飾して周りとのバランスを取っておくという、これも凄腕をもって登場してきていた。読者の裏面読みを辞退するこの態度は、さらに何かを先に隠してはいないかと、こちらに大きな期待を抱かせる。
 情けな格好いい式のヒーロー像は、華のハリウッドでも今全盛を迎えつつあるが、しかしそうならこれを日本人にやらせてくれれば、血と涙のにじむ長年の修練で筋金入りとなっており、その板についた格好悪さでは勝負できる国などどこにもなく、軽々と世界を圧倒できるものなのだなあと感心した。
 このような作者のもくろみが、こちらの買いかぶりでないことは、タイトルと、長い長い、コメディなしのエピローグを見れば解る。この作者が実はシリアスな体質を持ち、おどけは仮面であったことがここから知れる。
 謎のタイトル、「檻の中の少女」を説明する言葉は、このエピローグの中にしかない。長い事件展開の中では、このタイトルはお終いまで謎のままである。この謎解き説明は、最後のエピローグにいたってようやく始まる。
 したがってこのエピローグは、物語を書き終えたところで、ちょっと思いついて付け加えたといったレヴェルのものではなく、このエピローグ部分こそがこの創作において作者の最も言いたかったことであり、前半と同等の比重を持つ、作の半分であることが知れる。
   いささか一本調子にやりすぎている感もあり、前半の軽快な知的ペースをくずしてはいるが、ここで作者は笑顔を消し、君島のコメディは、実は悲しみの表現なのだと、言葉を使わない説明を始める。
 エピローグは、意味不明の高圧的威張りと、そうした自己の肯定、無根拠な他者睥睨が由来する、日本型道徳の温床ハウスの位置の指摘である。その意味では、ここにもまた「鬼畜の家」が顔を出す。この語は、どうやらわが道徳を読み解くキーワードであるらしい。
 そしてこれこそが愛するハードボイルドの質をゆがめ、直接に間接に、廻り廻って私立探偵を道化師におとしめた、憎むべき地獄の暗がりと作者は糾弾する。この部分はしたがって、無言のハードボイルド論とも読め、なかなかに意味深な作者の日本人論である。
 作全体をざっと俯瞰して、大きな傷が見当たらない。込み入った設計を、作者は上手に終えている。挙げつらう気になれば細かな傷は並ぶだろうが、それは行儀論混同の瑣末なもので、自分は以前よりこの手の指摘には価値を見ていないので、挙げない。また肩の力が抜けた作者の態度が、この種の上から目線をすでに無効化している。

選評「変若水―月神の遺産―」(著者:吉田恭教)

 作中に存在している世界の手応え、また登場人物や、彼らが出入りする異境的世界を信じさせる感覚は、この作に最も感じた。作中にある世界の完成度は、その大きさ、異形の度あいも含め、この作が最も高いとも感じた。したがって終盤手前まで、この作こそは本賞受賞相当、最右翼作と考えながら読み進んでいった。
 厚生労働省疾病対策課勤務の主人公、向井俊介のややコミカルなキャラクターも信じられるし、言動が自然で無理がなく、ストーリーによく解けこんでもいる。
 その上司で、別れたもと恋人、霧島美咲のキャラクターも、向井のマゾ的な道化ぶりをうまく引き出していて、読んでいるのは楽しい。
 初段から登場し、展開に絡んでくる美貌の女医、小田桐綾の毅然とした態度や、体から発される専門領域性、専門家らしい威厳のある立ち居振る舞いも、それらしい感じがうまく出ていて魅力がある。
 医師としての倫理観も高いと見え、実力も、周囲を思いやる魅力もある一人の女医が、医療ミスから告訴を受けそうになり、いっとき自信を喪失して見える様子も、その背後にある麻酔医不足等による医師の慢性的疲労、これが厚労省指導の制度的な欠陥を背景にしているなどの説明があって、実にありそうなことに思われ、このあたり、この小説を大人の読み物としての上質感、また一種の教養感覚で充たす効果があった。
 同時に、島根県と広島県の現境にある山奥、変若水村に存在する異様な世界、封建世界の感性や、その時代から理不尽に蓄えてきた富を盾にした、岩倉家の村人への傲慢な立ち居振る舞い、思い上がった威圧的行為が一転して語られ、省庁勤務や病院の内情などを軸とした近代的都会暮らしとの対比の筆の構図も、なかなか効果的であった。  月神神社の祭祀的タブーを犯した罰則から、若い頃に耳を切り落とされた老人、血縁の幻想を信じる岩倉家の人々、その頂点に傲然と君臨する老婆、彼らに問答無用に怯える村人などなど、ややパターンに向かったが、ここにもまた現れてきた「鬼畜の家」が、前半までは信じられる範囲で節度をもって語られ、顔を出した日本民話ふうの素朴な恐怖感覚が、東京暮らしの筆と両輪になって、物語をよく牽引した。
 こうして見れば「鬼畜の家」という田舎型女帝恐怖のコードは、日本産のミステリーのある方向をよく支え、しかし日本人の了解がたやすく取れるリアリティを付加してもくれる、まことに便利な容器であることに気づかされる。よって汎用性が高く、使い勝手もよくて、日本人の描く物語にたびたび顔を出す。
 特筆しておくべきは、ほかの三候補作にない「変若水」の圧倒的な手柄についてで、衆人環視のただ中で、狙った犠牲者の心臓に心室細動を起こさせる方法や、人為的に脳梗塞を起こさせる方法を創案したことにある。前人が気づき得なかった、こうした巧妙な殺人トリックを作者が発見できていることは、大きな加算ポイントになる。  厚労省の業務内容や、大病院の実情説明、医療への専門知識、また奇病、難病への着眼や、これへの充分な知識も、終始この作に高級感を醸したし、物語をビリーヴァブルにした。そしてこれらを主軸にして、まとわせる枝葉としての都会の若者たちの人間模様、一転して島根県出雲の異質な風土、田舎の老人たちに特有の立ち居振る舞いの筆等は、世界をよく広げた。物語に起伏をつけてこちらを絶えず感心させ、「変若水」を、平均を脱したAランクの創作物と感じさせた。
 ところが終盤、展開が着地にかかって、予想外の大きな落差を感じることになった。終盤の「告白」が持つクオリティは、それ以前の物語世界を語る意識と、大きな段差を生じさせて、これが意外な失望をもたらした。
「告白」で語られはじめた謎解きにより、物語はみるみる痩せはじめ、作品が眼前で貧弱に変質、萎縮していくのが感じられた。それは、偉容を誇っていた壮麗な大伽藍の骨組みが、異様なまでに通俗的な、安価な汎用資材が無思慮に用いられていたと、露呈する瞬間に似ていた。壁材や装飾品が一級であったために長く幻惑されたが、物語がよくここまでもったものと、逆に感心するような感覚だった。  魅力と威厳のあった女医小田桐の雰囲気が、真っ先に痩せて、貧相になった。それまでの彼女に降臨していた輝くような高貴さ、上品さは、世に流布している作品群にもなかなか見当たらない貴重なものであっただけに、この様子は、書き手がこの女性キャラの得ていた貴重な可能性に気づけなかったがゆえに思われた。
「告白」で語られる、この段のために用意されていた裏事情は、致命的なまでに通俗的である。日本の医療の制度と現場を語る、これだけの高級世界を構築し得ていた作者が、ストーリー低部の下敷きには、男性用通俗週刊誌程度の礎石しか用意し得なかったことは、誠に意外であり、遺憾であり、不思議でもあった。
 着地部分の物語は、世に流布している劇画ふう通俗ストーリーの域を、一歩も超えるものではない。したがって分量わずかなはずのこの部分が、推進力を失って、異様に長く感じられた。
 変若水村の暴君、多恵もまた通俗男性ストーリーの典型で、「鬼畜の家」における女帝は、自身の不退転の決意と行動を、常に信じる道徳の範疇で行う。たとえ人を殺しても、自身を凶暴な犯罪者だなどとは露ほどにも認識しない。自身の属する家への誇りと、これの存続を守らんとする自己と子孫への愛情道徳で行為する。決してやりたい放題をやっている訳ではなく、自身が強い正義と道徳の人と信じられなくて意味がない。並外れた傲慢と自己肯定で歪んだ意識にしても、これに対して自己暗示と言い訳が可能な範囲内での、正義の示威行動でなくてはならない。
 このあたりの女性的ルールへの洞察不充分は、多恵を暴走させすぎ、男の単純な好色に奉仕する単なる女衒にしてしまって、物語からビリーヴァブルさを根こそぎ奪った。おとなの読み物としての高級感、上質感をも奪い、物語に宿っていた社会告発性とか、状況改善の提案力をも放り出したように感じられた。
 結果この作は、佳作優秀作もはたしてどうか、というレヴェルにまで滑り落ちたが、「告白」を起点に、前半にまでに徹底改善の筆を及ばせれば、受賞作相当の価値も資格も充分にある。

選評「キョウダイ」(著者:嶋戸悠祐)

 冒頭から、ストーリーはホラーのセンスによって語られているらしく見える。タイトルの少し奇妙な感覚も、ホラーセンスのゆえであるらしく、その手法をこれより滲ませていくという、冒頭宣言のようにも読める。
 ホラー手法は、時にその気配を薄めながら、しかしじわじわと全体に敷衍されて、ついに全体を覆う。驚きを演出する、数学パズル的な物語装置としての今回の本格ミステリー挑戦に、このホラー感覚が相性の良さを見せてくれたことは、この作者にとって幸運なことであったと思う。
 一家が九州八幡から移っていく北海道の海べり、通称餓死町の貧民窟には、廃炭鉱語り等によく見られたような、懐かしい恐さがある。人格喪失の者とか薬中、刺青者や前科者が集合して蠢く、悪臭漂う貧民の掃き溜め、こういう場所に、炭鉱の場合はガス爆発で火傷した者のかさ蓋を食らう野狐とか、地縛の亡霊がよく出没した。こういう趣向は本格の読み手にはあまりなじみがなく、意表を衝かれるから、もうひとつのメルヘン的なユニークさが出た。
 中盤、原因不明の病魔に取り憑かれ、体液と蛆の塊りと化してしまう双子の一人の恐怖も、ホラーの部分品を思わせる。鬼と不治の病、あるいは鬼婆、あるいは亡霊は、民話を暗く飾る、失敗の少ない恐怖パーツであろう。
 登場人物、たとえば暴力的な義父が漂わせる、民話の鬼のような問答無用の恐怖感も、辻褄の合った合理的な文章を志向する本格の文体とは、奇妙にずれた現実喪失感がただよって、寝苦しい夏の夜の夢のような、素朴な恐怖感がある。
 級友三月の見せる心変りもそうで、こうした了解不能の人間の心の動きは確かに恐い。ホラー作家の体質がこんな場所にうまく現れていて、この段階まで作はよく成功し、深みや、未体験の暗さ、不思議さが上手に加わっていた。
 こうした様々な事態、風変りな登場人物たちは、やがて始まる復讐劇の準備であった。これらホラー寄りのピースが出そろうのを待ち、作者はこれらを使って前代未聞の計画を立てる。双生児の片方を襲った病を用いる復讐計画。ここで作はいきなり俯瞰の視線を持ち、「本格」に変貌する。
 このアイデアは上手なもので、なるほどと思わせる。軸に据えられ、作全体を支えるくっきりとしたアイデア、そしてその上出来さという点からは、この作が今年の候補作中、随一のものである。中心軸の強力さからのみ見れば、この時点ではこの作が、最も本賞受賞に近い位置にいた。
 ただ語りが後半に至るにつれ、本格を志向する書き手でないがゆえの未徹底も、徐々に顕れはじめた。論理性に徹底して殉じる本格態度の不足、それゆえに生じるリアリティの失速、またストーリー・テリングの空回りも目立ち、作者は徐々に俯瞰の視線を失って、本格構造体設計の位置を放棄、再びホラーの語り手に戻っていった。  この行き方は、全体的に見て、多少リアルな体裁に進めた日本昔話的、あるいは夏の夜の恐い夢的センスの「お話」で、辻褄とか、整合性が厳密ではない。過去から現れた鬼畜の隣家住まいは、ただ単に単純な驚きと、過去に深い罪を為した者が受ける因果応報的な、民話ふうの素朴な罰則感覚であろう。それだけのために、作者はかなりの無理をしている。
 そう考えれば、幸福であった家庭の妻子が消えるこの物語、夫が昔の罪に目覚めた時、傍らにいた美しい妻が鶴に身を変え、夕日の彼方に飛び去っていくあの趣向とも重なって見え、夕鶴や、雪女のパターンにも感じられてくる。
 これは、情緒的に、素朴に、俯瞰設計を伴わない都度着想の展開で読み手を恐がらせる民話的な語り手法に感じられて、本格の人間からすれば、合理性や、伏線呼応の点で、いささかの食い足りなさを感じる。
 とは言うものの、展開に良質の驚きがあったことは事実であるし、作の出来も、一般水準なら充分に超えている。また展開を表現する文章力も、細部にちらほら難が見られるものの、膨らみも持ち、詩的でもあり、充分に立派なものであった。
 ユーモアの排除も、この趣向の語りにならこれでよいから、続編にも期待が持てそうな水準であり、右に指摘の点に手を加えてもらえるなら、当作は単に出版可能という領域を越え、傑作にも手が届く。


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