| 「伊能忠敬の内弟子筆頭 箱田良助と榎本武揚」
このたびは、江戸時代の終わり頃に、日本全国を測量し日本地図を完成させた伊能忠敬の内弟子筆頭として活躍した備後福山出身の箱田良助とその次男で、福山藩も出陣した箱館戦争で旧幕臣の責任者として戦い、類まれな外交術、政治手腕により明治政府において重用された榎本武揚を紹介します。
箱田良助は、もとは備後国安那郡箱田村(現在福山市神辺町)の庄屋細川家の次男として1790(寛政2)年に生まれました。神辺出身の儒学者菅茶山と伊能忠敬との交流により測量隊に加わる機会を得た良助は、1807(文化4)年、17才の時に江戸に出て、忠敬に入門し、測量術を学びます。忠敬の死後も日本地図(大日本沿海與地全図)の完成に貢献した良助はやがて1822(文政5)年旗本榎本家に養子に入り、榎本圓兵衛武規と改名し、幕府天文方として仕えさらに1844(弘化元)御勘定方として活躍します。次男である榎本武揚はオランダに留学後、幕府海軍の実質的なリーダーとなっていきます。しかし大政奉還後は、幕府艦隊を率いて函館五稜郭に立てこもり新撰組と共に新政府軍と戦いますが、1869(明治2)年ついに降伏します。このときに旧幕府軍の討伐のために、福山藩は、新政府方として鞆の浦より700余人の兵を伴い函館へ出発し、榎本軍と交戦しています。
本展覧会では、箱田良助と武揚親子の幕末から明治維新期にかけて歴史上で活躍し当時の日本の歴史に少なからずとも影響を与えた親子の史実に触れることで、私たちの郷土備後ふくやまの再発見をしていただこうとするものです。
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