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広報ふくやま2020年1月号

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広報ID:170861印刷用ページを表示する 掲載日:2020年1月3日更新
歴史散歩

入封400年記念シリーズ(10)日本一 駅から天守閣が近い城

 1887(明治20)年の「私設鉄道条例」公布により民間の山陽鉄道会社が設立され、神戸~下関間に山陽鉄道(現山陽本線)の敷設が計画されます。
 1888(明治21)年11月に神戸~姫路間が開通すると1891(明治24)年3月には岡山、同年9月には福山、1894(明治27)年6月には広島までレールを延ばします。
 もちろん工事は万事順調に進んだわけではありませんでした。とりわけ難航したのが用地買収です。福山駅の建設では福山藩のシンボルであった福山城の石垣を壊し、路線が町を分断して繁栄を阻害するなどと反対の声が上がりました。
 しかし山陽鉄道の敷設には、日本と清国の関係が悪化するさなかだったこともあり政府と軍部の強い意志がありました。福山町でも東京から帰郷した学生有志が、町の発展のためには早急に鉄道を敷設する必要があるという声を上げ、積極的に支持しました。当時の社会情勢による要請から最短ルートを最短時間で敷設するには、石垣を壊して内堀を埋め立てる必要があったのです。
 日清戦争が始まる2カ月前には、山陽鉄道は大陸への兵たん基地があった宇品港を擁する広島まで開通します。こうして山陽鉄道は兵員・軍用貨物の輸送を進めるために軍用列車として運行し始め、今日の山陽本線につながります。
 これらのいきさつより福山城は今では「日本一 駅から天守閣が近い城」として知られるようになったのです。

 

福山城と山陽鉄道 福山城と山陽鉄道

福山駅 福山駅

堀端を走る汽車 堀端を走る汽車

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