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広報ふくやま2020年8月号

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広報ID:193617印刷用ページを表示する 掲載日:2020年8月1日更新
歴史散歩

平和への願い 緑町公園周辺の戦争遺跡

 緑町公園やばら公園周辺で戦争に関連した遺跡を見ることができます。
 現在の緑町公園と西隣の商業施設を合わせた敷地は、歩兵第41連隊福山兵営の跡地です。41連隊は1896(明治29)年に広島で創設され、1908(明治41)年に福山に転営してきました。併せて福山衛戌(えいじゅ)病院が設置され、戦傷病者の治療が行われました。
 連隊は1945(昭和20)年に幕を閉じるまで49年間の歴史を有します。戦後は大学、市役所仮庁舎、緑町公園および商業施設と姿を変え、兵営関連施設については周囲を取り囲んでいた石垣と将校集会所通用門柱のみとなっていました。しかし現在は2016(平成28)年にJA福山市から移設された西門柱および歩兵第41連隊跡記念碑を、緑町公園で見ることができます。
 福山衛戌病院は1936(昭和11)年に福山陸軍病院、1945(昭和20)年には国立福山病院(現福山医療センター)に改称され、1966(昭和41)年に門柱とともに現在は沖野上町へ移転しています。JA福山市には当時の病院の石垣が残り、病院発祥記念碑が建てられています。
 ばら公園には、1935(昭和10)年、兵営地に建てられた記念碑の台座石のみが移設されています。これは日露戦争の激戦地「萬宝山」で多くの犠牲者を出した連隊兵士を祀(まつ)るためのものです。
 これらの遺跡は戦争の悲惨さと平和の大切さを伝えています。

石垣の写真 兵営を囲んでいた石垣(東側)

通用門の門柱の写真 将校集会所通用門の門柱

手話通訳/要約筆記の有無:

 

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084-928-1278