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日本最古のマスク「福面」の考案者 宮太柱(みや たいちゅう)

印刷用ページを表示する 掲載日:2020年10月1日更新
No.326

 コロナ禍で身近になったマスク。このマスクを日本で最初に考案したのは、神辺町西中条に生まれた幕末の医師 宮太柱です。宮は代々医者の家系で、太柱は蘭方医の父(太立)とともに江戸や笠岡でも医業を営んでいました。
 江戸時代、幕府は財政・経済・外交にとって重要な金銀を確保するため、鉱山の開発を進めましたが、じん肺など鉱山病の問題が深刻化していました。こうした中、大森代官から鉱山病対策を依頼された太柱は、1855(安政2)年から1858(安政5)年にかけ、 石見銀山で調査・研究に取り組み、「済生卑言(さいせいひげん)」という報告書にまとめました。
 内容は坑毒の種別および鉱山病対策などについて詳しく述べたものです。父子で発明した送風機により薬草を煮た蒸気を通気管で坑内へ注入したり、考案したマスクを労働者に着用させたりするなど、当時とすれば画期的な対策が施されています。
 報告書には縁起が良いマスク「福面」の製作方法が解説されています。金属の骨組みに絹布を縫い付けて表面に柿渋を塗り、両端にひもを付けて耳に掛ける形態で、使用時は面内に必ず梅肉を挟むこととあります。梅肉の酸がマスクに粉じんが付着するのを防ぎ、呼吸が楽になるとの記載もあります。
 こうした太柱の対策は現代の感染症予防に通じるものがあり、その先見性に驚かされます。

深水荒神社の石柱と石燈籠の写真宮父子の名前が刻印された深水荒神社の石柱と石燈籠

 

福面の写真復元された福面(中条公民館蔵/石見銀山資料館寄贈)

文化振興課
084-928-1278

手話通訳/要約筆記の有無: