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福山藩歴代藩主一覧

印刷用ページを表示する 掲載日:2013年12月1日更新

福山藩 歴代藩主一覧

藩主名藩主在任期間生没年備考
1水野勝成(かつなり)

1619(元和5)
  ~1639(寛永16)

1564(永禄7)
  ~1651(慶安4)
福山藩初代藩主
奈良県大和郡山より移封
2水野勝俊(かつとし)1639(寛永16)
  ~1655(明暦1)
1598(慶長3)
   ~1655(明暦1)
 
3水野勝貞(かつさだ)1655(明暦1)
 ~1662(寛文2)
1625(寛永2)
  ~1662(寛文2)
 
4水野勝種(かつたね)1663(寛文3)
  ~1697(元禄10)
1661(寛文1)
  ~1697(元禄10)
 
5水野勝岑(かつみね)1697(元禄10)
  ~1698(元禄11)
1697(元禄10)
  ~1698(元禄11)
跡継ぎ不在の為
水野家断絶
6松平忠雅(ただまさ)1700(元禄13)
 ~1710(宝永7)
1683(天和3)
  ~1746(延享3)
出羽山形から入封
11年で伊勢桑名へ
7阿部正邦(まさくに)1710(宝永7)
  ~1715(正徳5)
1658(万治1)
  ~1715(正徳5)
宇都宮から移封
8阿部正福(まさよし)1715(正徳5)
  ~1748(寛永1)
1700(元禄13)
 ~1769(明和6)
大阪城代
9阿部正右(まさすけ)1748(寛永1)
  ~1769(明和6)
1724(享保9)
  ~1769(明和6)
総者番・寺社奉行
京都所司代・老中
10阿部正倫(まさとも)1769(明和6)
  ~1803(享和3)
1745(延享2)
  ~1805(文化2)
奏者番・寺社奉行・老中
11阿部(まさきよ)1803(享和3)
  ~1826(文政9)
1774(安永3)
  ~1826(文政9)
奏者番・寺社奉行・老中
12阿部正寧(まさやす)1826(文政9)
  ~1836(天保7)
1809(文化6)
  ~1870(明治3)
 
13阿部正弘(まさひろ)1836(天保7)
  ~1857(安政4)
1819(文政2)
  ~1857(安政4)
奏者番・寺社奉行・老中
日米和親条約の締結
14阿部正教(まさのり)1857(安政4)
  ~1861(文久1)
1839(天保10)
  ~1861(文久1)
 
15阿部正方(まさかた)1861(文久1)
  ~1868(慶応4)
1848(嘉永1)
  ~1867(慶応3)
京都守護・長州征伐
実は1867年没
16阿部正桓(まさたけ)1868(慶応4)
  ~1869(明治2)
1851(嘉永4)
  ~1914(大正3)

1869~1871
福山藩知事

 

福山藩初代藩主 水野勝成

永禄7年(1564年)~慶安4年(1651年)

福山水野家初代藩主

永禄7年(1564年)三河国に生まれる。

勝成の父忠重の姉は徳川家康の生母であり、家康と勝成は従兄弟同士である。

20歳の時に父の寵臣を切って流浪,佐々成政・小西行長・加藤清正などに仕えた後,

35歳で徳川家康の仲介により水野家に帰る。

慶長5年(1600年)父の死後刈谷3万石の領主となり

関ヶ原の合戦では西軍の大垣城を降し,また更に大坂夏の陣・冬の陣での功により

大和郡山にて6万石を封じる。

その後福島正則が改易されたことにより元和5年(1619年)勝成56歳の時に

備後福山へ移封,福山藩10万石の初代藩主となる。

元和8年(1622年)福山城築城の後も,城下町の設営,干拓,治水工事など福山の礎を築いた他

神社仏閣の修理や再建にも力を尽くす。

慶安4年(1651年)3月15日に88才で死去,寺町の賢忠寺にて葬られる。

 勝成  勝成像

           水野勝成画像(福山賢忠寺蔵)

福山藩阿部家七代藩主 阿部正弘

文政2年(1819年)~安政4年(1857年)

福山阿部家7代藩主

11代正精の6男として生まれ,天保7年(1836年)10代藩主正寧の婿養子となり

正寧の致仕により18歳で家督を継ぐ。

天保9年(1838年)奏者番,同11年には寺社奉行を兼任,同14年には25歳の若さで老中に抜擢される。

その2年後には老中首座となり,東照宮の修繕や海岸防備,江戸城西の丸の造営などが賞されて

嘉永5年(1852年)1万石加増の計11万石となる。

嘉永6年(1853年)6月ペリーの浦賀来航,翌安政元年(1854年)3月の

日米和親条約の締結に至る開国問題を老中首座として指揮した。

安政4年(1857年)6月没するまで老中の座にあり英・露・蘭と和親条約・下田条約の締結を行い

同年6月17日、39歳の若さで病没した。

正弘の幕政に関する施策としては200年余の鎖国体制を破り開国への道を進んだことや

広く人材を登用したことなどが挙げられる。

その他にも正倫が設けた弘道館を改して藩校誠之館を安政二年(1856)に開校するなど人材の育成も手掛けた。

  正弘  正弘像

    吉田洞谷筆「阿部正弘公御画像」(福山市蔵)

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