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福山藩年表

印刷用ページを表示する 掲載日:2013年4月1日更新

福山藩年表

 
水野時代元和5年(1619)7月22日,水野勝成が備後7郡と備中一部10万石に封ぜられる
8月4日,水野勝成が鞆に上陸し神辺城に入る
幕府より引渡知行帳を受け取る
「当此時賜伏見城之三階櫓、櫓形櫓、月見櫓
大手門、鉄門、及び多門一棟塀百八十間」
神辺から大念寺・神村から洞林寺を移転させる
元和6年(1620)幕府の許可を得て野上村常興寺山に築城を始める
5月28日,大雨洪水
元和8年(1622)8月15日,野上村常興寺山に福山城完成
水野勝成入城
本丸2,624坪 二之丸8,809坪
三之丸31,931坪小丸山7,180坪・内堀3,259坪
外堀20,163坪・沼(小丸山裏)3,500坪
城下町は地子及び諸役を免除して人を集める
築城後まもなく上水道を敷設する
寛永元年(1624)勝成,二条城普請を勤める
寛永2年(1625)勝成,肥後熊本加藤家改易により熊本城受取りを勤める
このとき勝成妹で加藤清正室の清淨院を福山に引き取る
勝俊嫡男・勝貞鞆津で生まれる
勝俊,勝貞の誕生を祝い沼名前神社に石鳥居を寄進する
寛永7年(1630)藩札を発行する
寛永9年(1632)野上新田を開発する
寛永15年(1638)勝成・嫡子勝俊・嫡孫勝貞とともに島原の乱に出陣
寛永16年(1639)勝成隠居して2代目勝俊にあとを譲る
自らは本格的な干拓事業に取りかかる
寛永18年(1641)木ノ端新涯を開発する
木綿橋(新橋)架設
正保4年(1647)市村沼田・深津沼田・引野新田を開発する
慶安4年(1651)3月15日,勝成死す。88才・賢忠寺にて葬る
承応4年(1655)勝俊,江戸にて死去,妙政寺に葬る
勝俊の7人の側近,追腹殉死する
3代勝貞あとを継ぐ
万治元年(1658)多治米を開発する
寛文元年(1661)勝種,福山に生まれる
寛文2年(1662)勝貞38歳で死す,4代勝種3才で家督を継ぐ
寛文7年(1667)松永に綿運上所を設け運上銀を定める
寛文8年(1668)手城を開発する
寛文10年(1670)草戸を開発する
延宝2年(1674)大暴風雨・洪水により城下浸水する
元禄10年(1697)勝種死す。5代勝岑1才で家督を継ぐ
元禄11年(1698)勝岑襲封挨拶の為出府将軍に拝謁の翌日死す
跡目なくお家断絶のところ,水野数馬に1万石を与え
下総結城に転封となる

松平時代元禄11年(1698)幕府の上使により城請取り完了
元禄12年(1699)幕府,岡山藩に命じ旧福山藩を検地する15万石と判明する
元禄13年(1700)松平忠雅,出羽山形より備後10万石に転封入城する
このとき残り5万石余は天領となる
(安那・甲奴郡の一部と神石郡)笠岡陣屋支配
(備中小田・後月郡の一部)に分かれる
宝永7年(1710)松平忠雅,伊勢桑名に転封となる

阿部時代宝永7年(1710)阿部正邦,下野宇都宮より移封入城する
正徳4年(1714)郡目付を設置する
正徳5年(1715)正邦死す,2代正福あとを継ぐ
享保9年(1724)町年寄制を宿老制に改める
享保19年(1734)2月,城下笠岡町から出火1,150軒余を焼失する
寛保2年(1742)城下木綿橋に目安箱を設置する
延享2年(1745)正福,大阪城代となる
寛延元年(1748)正福,隠居して3代正右あとを継ぐ
宝暦10年(1760)正右,京都所司代となる
明和元年(1764)正右、老中となる
明和2年(1765)6月,城下に大火,吉津町,本町胡町,東町,三吉村焼失
明和6年(1769)正右死す。四代正倫あとを継ぐ
明和7年(1770)百姓一揆起こる
安永3年(1774)正倫,奏者番となる
安永8年(1779)正倫,寺社奉行となる
西町堀端に学問所「弘道館」を建てる
天明7年(1787)正倫,老中となる
寛政6年(1794)鞆港に異国船取調べ番所を設ける
寛政8年(1796)菅茶山の廉塾を郷学となす。
享和3年(1803)正倫隠居し,5代正精あとを継ぐ
文化元年(1804)正精,奏者番となる
馬屋原呂平「西備名区」草稿を完成する
文化2年(1805)正倫死す
福山義倉設立される
文化3年(1806)正精,寺社奉行兼任となる
文化6年(1809)菅茶山「福山志料」を完成させる
文化14年(1817)正精,老中となる
文政2年(1819)阿部家5代正精の6男として正弘生まれる
文政9年(1826)正精死す。6代正寧あとを継ぐ
天保元年(1830)福山城に時の鐘をつくる
天保2年(1831)領内に百姓一揆,打ちこわし起こる
天保7年(1836)正寧隠居して7代正弘あとを継ぐ
天保8年(1837)前年から引き続き凶作,疫病流行し
領内餓死者1,400人にのぼる
天保11年(1840)正弘,寺社奉行となる
長雨,洪水で領内の田畑損耗3万石にのぼる
天保14年(1843)正弘25歳で老中となる
弘化2年(1845)正弘老中首座となる
嘉永6年(1853)江戸城西丸修理・造営の功により1万石加増計11万石となる
ペリーが浦賀に来航
安政元年(1854)正弘老中首座としてペリーと日米和親条約締結
(下田・箱館の2港を開港)
弘道館にかえて「誠之館」を開校する
安政4年(1857)正弘39歳で死す,8代正教あとを継ぐ
文久元年(1861)正教死す,9代正方あとを継ぐ
文久2年(1862)海防のため洋式藩船「順風丸」竣工する
文久3年(1863)正方,京都守護となる
元治元年(1864)第一次長州出兵
慶応元年(1865)福山沖干拓に着手,大新涯400余町歩を開く
慶応2年(1866)第二次長州出兵,石州口へ出兵
益田で長州兵との戦いに敗れ福山に帰る
慶応3年(1867)瀬戸内の六島沖で坂本龍馬率いる「いろは丸」と
紀州藩船「明光丸」が衝突
10月徳川氏,大政奉還をなす
11月阿部正方死去
(20歳・混乱を避けるべく喪を伏して小丸山に仮埋葬)

明治時代明治元年(1868)長州,討幕の軍を進め福山城に迫る
講和成立し福山藩,薩長の討幕軍に加わる
伊勢松山に進軍する
正方の養子として広島藩主浅野長勲の弟
正桓が10代藩主となる
明治2年(1869)2月,藩の討幕軍函館五稜郭に遠征し戦う
6月,版籍奉還,正桓福山藩知事となる
明治4年(1871)7月14日,廃藩置県福山藩を廃して県となる
城郭全建物・樹木一切は兵部省移管御屋形は県庁
明治6年(1873)1月14日、陸軍省建物是迄其省管轄ノ処今度…
陸軍必要ナ分管轄被仰付其余…
旧来ノ城郭陣屋等被廃候條附属ノ建物木石ニ至ル迄
総テ大蔵省ヘ可引渡事」
小田県より建物城地の払下げが決定する
明治7年(1874)9月,小田県権令宛備後国郡々戸長差出
「元福山城内天守閣御下願」
10月27日,内務省「人民偕楽の地とすべし」で許可
士族授産所が桑畑・麦畑・蓮池に使用
明治8年(1875)本丸が福山公園となる
明治21年(1888)3月,月見櫓跡に葦陽館建設
明治22年(1889)追手門内数百坪を名波氏購入
山陽鉄道会社へ売却
明治23年(1890)五千石蔵跡3,000坪を小山氏購入,梨園とする
明治24年(1891)9月11日,山陽鉄道笠岡・福山間開通
11月3日,福山・尾道間開通南内堀を埋めて線路・駅舎建設
北御門内4620坪,枡形90坪を小林氏購入
明治25年(1892)外堀全部を鞆林家が購入,山陽鉄道会社に売却
明治26年(1893)5月1日,福山紡績株式会社福山町に設立
明治29年(1896)4月1日,福山公園が福山町に移管
明治32年(1899)3月,女徳女学校が城下東南角(内堀)に開校
明治36年(1903)4月14日,福山紡績が福島紡績と合併
西三之丸に福山女子尋常小学校・高等小学校設置
明治39年(1906)西三之丸に福山町立女学校創立

大正時代大正2年(1913)広島県立福山勾当女学校と改称(西堀は現存)
大正3年(1914)東外堀を辻の坂と両社八幡宮東小山の土で埋める
4月12日,鞆軽便鉄道野上・福山町間開通
7月21日,両備軽便鉄道
両備福山・府中町間開通
東外堀を埋めて線路・駅舎建設
大正4年(1915)二之丸の福山製紙株式会社社長
田中氏の別荘に桜が植えられる
大正11年(1922)11月16日,阿部正弘公銅像建立

昭和時
昭和元年(1926)12月15日,公会堂落成
(59,000円の内40,000円阿部家より寄附~1966年)
昭和6年(1931)1月9日,天守閣が国宝指定
昭和7年(1932)6月21日,福山市長宛
「福山城址西堀存置要望書」「城址所有者ノ任侠」
西堀北側を同校運動場として順次埋め立てる
昭和8年(1933)1月23日,伏見櫓・御湯殿・筋鉄御門が国宝指定
昭和9年(1934)4月1日,公園の管理を移管する
昭和11年(1936)4月26日,福山城址本丸を国史蹟とする
「天守閣南広場に猿小屋,孔雀小屋,小鳥小屋
鳩小屋…茶店,瓢箪池,藤棚…
天守閣北に体育協会のテニスコート二面」
昭和12年(1937)五千石蔵跡地に安部氏が別荘建築(現・福寿会館)
昭和13年(1938)1月16日,入江を800m埋め立て,木綿橋廃止
テニスコート西側道路を勤労奉仕で開く
昭和15年(1940)西堀を埋め立てていく
昭和18年(1943)阿部正弘公銅像を供出する
昭和20年(1945)8月8日,福山空襲天守閣・湯殿等消失
昭和39年(1964)2月7日,二の丸以上を国史跡指定
昭和41年(1966)11月15日,福山城(天守閣・月見櫓・御湯殿)完工式挙行
福山城博物館開館
昭和47年(1972)3月30日,福山城三之丸西御門櫓台跡を福山市史跡指定
昭和48年(1973)3月31日,福山城三之丸北御門外枡石塁跡を福山市史跡指定
5月24日,福山城跡小丸山を福山市史跡指定鏡櫓復元
昭和50年(1975)旧内藤家長屋門を福山市重要文化財指定
昭和51年(1976)旧内藤家長屋門移築
昭和54年(1979)鐘櫓を福山市重要文化財指定

平成平成18年(2006)4月6日,財団法人日本城郭協会が定める日本100名城に指定される
平成26年(2016)福山城博物館が開館50周年を迎える
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