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いろは丸事件とは

日本で初めての蒸気船同士による衝突事故

「いろは丸事件」は,江戸時代最後の年に発生した日本初の万国公法による海難審判事件です。
慶応3年(1867年)4月23日,坂本龍馬率いる海援隊の乗り込んだ蒸気船「いろは丸」が紀州藩の蒸気船「明光丸」と鞆の浦沖で衝突しました。
「いろは丸」は大破し,修理のため当時港湾施設の整っていた鞆の浦に向かって曳航されましたが,途中で沈没しました。
坂本龍馬ら海援隊と紀州藩士が鞆の浦に上陸し,談判を重ねましたが,決着せず,紀州藩は4日後に長崎に向けて出航しました。坂本龍馬らはこれを追って長崎に移動し,談判を重ね,決着させました。
鞆の浦には,談判した建物など「いろは丸事件」ゆかりの施設が現存し,坂本龍馬が寝泊まりしたと伝わる「隠し部屋」も見学することができます。
平成29年(2017年)は,「いろは丸事件」から150年の節目を迎えます。

いろは丸事件があった付近地図
桝屋清右衛門宅(ますやせいえもんたく)
桝屋清右衛門宅の画像

坂本龍馬らが乗船した「いろは丸」が紀州藩の船と衝突,沈没した「いろは丸事件」の際に,当時すでに幕府から命を狙われていた龍馬が身を寄せたという”隠れ家”。よき理解者であった桝屋に龍馬は偽名を使って宿泊し,紀州藩との交渉にあたりました。龍馬が実際に過ごしたといわれる屋根裏部屋が現在公開されています。

営業時間 9:00〜16:30

休館日 火曜・水曜・木曜・臨時休業あり

料金 大人:200円/小学生・中学生・高校生:100円

連絡先 084-982-3788

旧魚屋萬蔵宅(きゅううおやまんぞうたく)
旧魚屋萬蔵宅の画像

「いろは丸事件」で坂本龍馬ら海援隊と紀州藩が実際に談判を行った場所。現在は「御舟宿いろは」として江戸時代の町家のたたずまいを残した食事・宿泊施設になっています。

営業時間 10:00〜17:00

休館日 火曜日(祝日の場合翌日)

連絡先 084-982-1920

福禅寺 對潮楼(ふくぜんじ たいちょうろう)
福禅寺 對潮楼の画像

「いろは丸事件」で坂本龍馬ら海援隊と紀州藩が実際に談判を行った場所。江戸時代の元禄年間(1690年頃)に創建された客殿で国の史跡に指定されています。座敷からの海の眺めは素晴らしく,1711年(正徳元年),朝鮮通信使の李邦彦(イバンオン)は「日東第一形勝」と書を残し,1748年(延亭5年),洪景海(ホンキョンヘ)は對潮楼(たいちょうろう)の書を残しています。

営業時間 8:00~17:00

料金 大人200円 中学生・高校生150円 小学生100円

連絡先 084-982-2705

圓福寺
圓福寺の画像

「いろは丸事件」では,紀州藩の宿舎となった場所。江戸時代には瀬戸の島々や四国が眺望できる景勝地として,朝鮮通信使上官の常宿となりました。また,漢詩会・歌会・句会も度々行われ,様々な文化交流の舞台となりました。 「夾明楼」と命名された座敷から鞆の浦の美しい景色を眺めながら,往時の文化交流の舞台を感じることができる貴重な場所です。

料金 200円(要予約)

連絡先 084-982-2508

いろは丸展示館
いろは丸展示館門宅の画像

潮の香りと史跡を訪ねて,1867年(慶応3年)鞆沖で沈んだいろは丸から引き揚げられた物,沈没状況のジオラマ等を,江戸期に建てられた太い梁(はり)など堂々たる建物,鞆の町では「大蔵」と呼ばれている蔵の中に展示しています。

営業時間 10:00~17:00

休館日 年末年始

料金 小学生以上200円 ※30名以上団体/150円(小学生・中学生100円,引率者無料)

連絡先 084-982-1681

常夜燈と港湾施設
常夜燈と港湾施設の画像

西町の大雁木先端に建つ常夜燈は「とうろどう(燈籠塔)」と呼ばれて親しまれてきた灯台で,1859年(安政6年)に西町の人々によって寄進されました。石造りの高さ5m以上,基礎からの高さは11m以上の雄大な塔で,現存する江戸期の常夜燈の中では日本最大級の大きさです。航海安全の願いをこめ,竿柱の南面には「金比羅大権現」,北面には「当所祇園宮」の石額が掲げられています。

常夜燈・雁木・波止・焚場跡・船番所跡といった江戸期の港湾施設が全て残っているのは鞆の浦だけです。

鞆の浦

鞆の浦の夕日

江戸時代には北前船の寄港地

福山駅から南へ14kmの瀬戸内海沿岸のほぼ中央に位置する鞆の浦。
古くから潮待ちの港として栄え,万葉集にも詠まれています。
また,日本で最初の国立公園に指定された瀬戸内海を代表する景勝地の1つです。
波穏やかな瀬戸の海に仙酔島や弁天島がぽっかりと浮かぶのどかな風景は心癒されます。
江戸時代には北前船の寄港地としても栄え,朝鮮通信使も幕府の慶賀などのために度々寄港。
福禅寺が迎賓の場所として使われました。

鞆の浦イラストマップ[PDFファイル/5.18MB]

公共交通機関
  1. 福山駅
  2. 鞆鉄バス 約30分
  3. バス停 鞆の浦520円
  4. バス停 鞆港550円
  1. 福山駅
  2. 広島 県道22号 福山鞆線 約30分
  3. 鞆の浦駐車場の情報はこちら

※駐車場の台数が限られていますので,公共交通機関をご利用ください。
※鞆の浦は道が狭くなっておりますので,ご注意ください。

鞆港

大政奉還150周年

大政奉還とは…

慶応3年(1867年)10月14日,徳川家第15代将軍慶喜は,天皇に対し,「従来之旧習を改め,政権を朝廷に帰し奉り」とする上表を呈した。朝廷では翌15日,摂政二条斉敬(なりゆき)ら主要廷臣が集会して協議のうえ,夜になってから,慶喜を御所に呼び寄せ,申し出の趣はもっともであるとして,その受け入れを伝えた。さらに,別に沙汰書を発し,今後,諸大名からの伺いや,命令布達などは,朝廷の議奏・武家伝奏が取り扱うと通告した。
徳川家が初代家康以来,征夷大将軍として264年にわたって保持していた,国内の行政に関わる権限は,こうして,天皇に移譲されたのである。その行動が,「大政奉還」と呼ばれるわけだが,実を言えば,この4字熟語は後年に名付けられたものであり,史料上には見あたらない。12月9日に発せられる,いわゆる王政復古の大号令には,「徳川内府(内大臣慶喜),従前御委任大政返上,将軍職辞退之両条,今般,断然聞(き)こし食(め)され候」とあって,「大政返上」という言葉が用いられている。「奉還」は,明治時代になってから,「政権」もしくは「大政」が,将軍から天皇に返還されたのである,という意味を強調するために,そう呼ばれるようになったものである。

大政奉還150周年記念プロジェクト

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