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福山の水道のあゆみ

印刷用ページを表示する 掲載日:2014年4月1日更新

上水道

福山の水道のあゆみ

  水は文化の母,昔から人は水の集まるところに集落を作り,都市をつくってきました。

福山旧水道(江戸時代)

福山の水道の始まり

旧水道の面影が残る蓮池,護国神社横,妙政寺前

 福山の水道の始まりは,遠く昔の今からおよそ390年前の江戸時代の初めになります。
 1619年(元和5年),備後の国の領主となった戦国の武将 水野勝成がこの地域を「福山」と名づけ,福山城や城下町を建設したときに,町に飲料水を送るために芦田川から蓮池(通称どんどん池)まで水を引き,そこから木の管や土の管などでそれぞれの家にくばる水源整備の事業を行ったのが始まりです。
 その長さはおよそ14キロメートルにもおよび,日本の水道の中でも,一般の飲用を主とする水道としては神田上水,近江八幡水道,赤穂水道,中津水道に次ぐ全国で5番目という歴史を持っています。
 この「旧水道」は,終戦当時まで一部市民の間で使用されていましたが,現在でも蓮池や幹線水路,取水口などに昔の姿をしのばせるものが一部残されています。

木の管 ますと福山三十町町割水道図

上水道の創設

市制施行への動きと上水道建設問題

鞆軽便鉄道開通 福山の町に電灯がつく

 明治末期より商工業の発展,第41連隊の福山転営,地方私鉄の開通など急速に都市化へと向かった福山町は,市制実現に向けて動きだしました。大きな拍車をかけたのが上水道の建設問題です。
 当時の福山の水道は,江戸時代初めに作られた,主に木管を使った水道が利用されており,老朽化や水源(蓮池)の汚れなどで清浄な水が得られなくなり,伝染病の問題が頻発していました。
 こうした衛生上の問題の解消,また,人口の増加や産業の発展から大量の水の確保が必要となり,清浄で豊富な水を供給できる近代水道の建設は,福山が近代都市として発展するための最重要課題の一つでした。


上水道建設までの道のり

大正時代の市街地 阿武初代福山市長

 明治43年(1910年),初めての本格的な上水道布設議案が町会に提出されましたが,国の補助を受けることができず,建設の望みは絶たれました。その後,大正2年(1913年)に上水道布設修正案が提出されますが,上水道の建設には莫大な費用を要することから町民の間から賛否両論が巻き起こり,またしても建設の実現には至りませんでした。
 こうした中,大正4年(1915年),のちに福山市の初代市長となった阿武信一町長が就任すると市制施行の機運が再び高まり,町長は,福山が将来的に市制をひくことは明白で,その準備のためには上水道の建設は必要不可欠として建設を決意しました。
 ところが,調査が進むにつれて必要な財源をどのように確保するかが大きな課題となり,国の補助を受けるには市制施行後でなければならないことが判明し,市制施行と上水道の建設は,最も重要で緊急の課題となりました。


市制施行の実現と上水道の創設

上水道計画概要図 熊野水源池築造工事 芦田川横断配水管布設工事

 関係者の努力の結果,大正5年(1916年)7月1日,広島県4番目の市として福山市が誕生し,いよいよ近代都市としての基礎を整えることとなりました。
 そして,市をあげての一大事業として上水道の建設が始まりました。途中,水源を地下水と表流水のどちらかに求めるかの論争,用地買収,芦田川の大水害などもあり,完成までいくつもの困難がありましたが,大正14年(1925年)11月,ついに上水道は完成しました。
 熊野町渓谷に設けた貯水池を水源として,自然流下で佐波町の浄水場から市内に給水が開始され,20数年一貫して上水道建設にかけた人々の熱い思いとともに,歴史の1ページを開きました。

佐波浄水場跡地と阿武市長直筆の記念額

創設~昭和20年代の水道

給水量の増加とともに

第一期拡張時代 第二期拡張時代 本庄水源築造工事

 上水道の完成した当時の給水人口はおよそ8,800人,普及率は25.2%でした。
 その後,近隣10村との合併による面積の拡大などで給水量が増加し,熊野貯水池では貯水量が少ないため,水源を芦田川にも求めて川底に掘った井戸(草戸水源)から草戸ポンプ所を通して,佐波浄水場まで水を送りました。(第一期拡張事業)
 昭和20年(1945年),福山大空襲により市街地のほとんどが焼け野原となりましたが,市民をあげての復興事業は進み,給水量は次第に増加しました。このため,山手町の芦田川の岸に井戸を設置して(本庄水源)安定給水に努めました。(第二期拡張事業)
 昭和30年(1955年)には給水人口54,500人(普及率72.0%)となりました。

1916年(大正5年)福山市誕生(人口32,356人)
1925年(大正14年)上水道竣工
1933年(昭和8年)川口,手城,深津,奈良津,吉津,木之庄,本庄,神島,佐波,草戸の10村と合併
1935年(昭和10年)第一期拡張事業認可
1942年(昭和17年)山手,郷分村と合併
1945年(昭和20年)戦災により市街地の約80%が焼失
1946年(昭和21年)戦災復興事業の開始
1952年(昭和27年)第二期拡張事業認可
1954年(昭和29年)松永市誕生

昭和30年代~昭和40年代の水道

合併により広島県東部最大の都市に

第三期拡張時代 第四期拡張時代 三川ダム

 昭和31年(1956年)の水呑,鞆町など10か町村との合併によって,福山市は広島県東部最大の都市となり,山陽地方の交通の要衝都市として発展を続けました。この頃の水道は「福山の水がめ」三川ダムの完成や出原浄水場などが建設(第三期拡張事業)され,安定給水に大きな役割を果たしました。
 その後,昭和36年(1961年)には日本鋼管の福山進出が決定,昭和39年(1964年)には備後工業整備特別地域に指定され,軽工業を中心とした市から瀬戸内を代表する重化学工業都市へと大きく転換することとなり,大規模工業用水道の建設や大幅な給水量の増加が見込まれました。また,水洗トイレや洗濯機の普及などもあり,中津原浄水場を建設(第四期拡張事業)しました。この中津原浄水場は全国でも数少ない上水道,工業用水道の施設を併せ持つ浄水場です。

1956年(昭和31年)第三期拡張事業認可
水呑,鞆の2町及び引野,市村(蔵王),千田,御幸,津之郷,赤坂,瀬戸,熊野村の8か村と合併
1958年(昭和33年)蓮池工業用水道給水開始
1959年(昭和34年)出原浄水場より給水開始
1960年(昭和35年)三川ダム完成
1962年(昭和37年)深安町(大門町)と合併
1964年(昭和39年)備後工業整備特別地域指定
1965年(昭和40年)臨海工業用水道給水開始
1966年(昭和41年)松永市と合併
1967年(昭和42年)芦田川一級河川に昇格
中津原浄水場より給水開始
1971年(昭和46年)三川ダム嵩上げ工事完成


市域の変遷 福山市の大合併

 

昭和40年代~昭和50年代の水道

「安全で良質な水を安定して供給する」ことを最大の目標に

中津原浄水場急速ろ過池築造工事 走島町への送水管布設

 高度経済成長が続く中で,福山市も人口の急激な増加や産業の拡大などめざましい発展を続けました。この頃の水道は,年々給水量が大幅に増加し,また夏季には渇水が数多く起こり,非常に深刻な課題となっていました。
 このため中津原浄水場の増強工事,松永地区や簡易水道の上水道への統合(第五期拡張事業),また,三川ダムの嵩上げ工事による工業用水の確保や農業用水の余剰水の上水道への転用などを行いました。
 昭和50年代には八田原ダムの建設事業参加や芦田川河口堰の建設による工業用水道の給水などを行いましたが,急激に増加する給水量に対して,「何とか早く水を送らなければ」と水源の確保や配水管の布設など拡張につぐ拡張を行い,安定給水に努めた時代でした。

1972年(昭和47年)第五期拡張事業認可(一次計画)
1973年(昭和48年)第五期拡張事業認可(二次計画)/芦田川河口堰工業用水道事業認可/渇水対策本部の設置
1974年(昭和49年)芦田町と合併
1975年(昭和50年)加茂町,駅家町と合併
1977年(昭和52年)走島町へ給水開始/第六期拡張事業認可/佐波浄水場休止(52年の幕を閉じる)
1978年(昭和53年)芦田川河口堰工業用水道給水開始
(蓮池工業用水道廃止)
1982年(昭和57年)渇水対策本部の設置
1984年(昭和59年)山陽自動車道工事着工
1985年(昭和60年)第六期拡張事業変更認可(一次分)


福山市の給水普及状況(給水人口と普及率)

平成~21世紀の水道へ

高度経済成長の中で安定給水に努めた時代

中央管理センター 千田鋼製配水池 千田浄水場

 経済が低成長時代となっていく中で,平成3年(1991年),厚生省(現在厚生労働省)は「安全で良質な水を安定して供給する」ことを最大の目標として「ふれっしゅ水道計画」を策定しました。また,平成6年(1994年)の日本列島を襲った大渇水や平成7年(1995年)の阪神大震災は,水道のライフラインとしての重要性があらためて認識される出来事でした。
 このため福山市では,将来にわたり市民の水需要を担うための八田原ダム,効率的な水運用を図る中央管理センター(中津原浄水場内)の建設に加え,千田浄水場(千田町)の建設などを進めてきました。(第六期拡張事業)
 「安全で良質な水を休みなく送り続ける」という水道の最も重要な使命を果たすことだけでなく,水量・水質・水圧ともさらにレベルアップを図り,「災害にも負けない安定したつよい水道」,「安全で良質なひとにやさしい水道」をめざしています。

1989年(平成元年)第六期拡張事業変更認可(二次分)
松永地区へ中津原浄水場より給水開始
1992年(平成4年)(財)福山市水道サービス公社設立
1994年(平成6年)渇水対策本部の設置/時間断水の実施(8月16日~9月29日)/第12回広島アジア競技大会開催/千田鋼製配水池完成
1995年(平成7年)新規浄水場建設開始
1996年(平成8年)第六期拡張事業変更認可(三次分)
1998年(平成10年)八田原ダム完成/福山市中核市移行/中央管理センター開所
2000年(平成12年)服部簡易水道を廃止し,上水道へ統合
2003年(平成15年)内海町・新市町と合併
2004年(平成16年)千田浄水場より一部給水開始
2005年(平成17年)沼隈町と合併
2006年(平成18年)神辺町と合併
2007年(平成19年)水道水質検査優良試験所規範(水道Glp)認定取得
2009年(平成21年)(財)福山市水道サービス公社解散/渇水対策本部の設置/第六期拡張事業変更認可(四次分)/芋原簡易水道,山野簡易水道を廃止し,上水道へ統合
2010年(平成22年)出原浄水場更新事業着工