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略年表

印刷用ページを表示する 掲載日:2010年4月10日更新
菅茶山略年表
西暦元号年齢できごと
1748延享 512月2日菅波樗平・半の長男として生まれる
1766明和 319京都に遊学し市川某に古文辞学を学ぶが、後に那波魯堂に朱子学を、和田泰純に古医方を学ぶ
1771明和 824西山拙斎が初めて茶山を訪ね、ともに三原へ観梅に行く
1773安永 226初めて大坂の「青山社」に頼春水を訪ねる
1775安永 428私塾を開く 藤井暮庵が入門する
1780安永 933遊学中に大坂の「混沌社」社友と交わる
1784天明 437門田氏、宣と結婚する
1786天明 639福山藩校弘道館教授に迎えられたが断る
天明百姓一揆(~1787)
1788天明 841藤井暮庵と広島・宮島に遊び頼杏坪・頼山陽と出会う
『遊芸日記』が成る  『冬日影』が成る
1792寛政 445

福山藩儒医として五人扶持を給される
塾経営に専念するため家業を弟恥庵(ちあん)に譲る
この頃、「黄葉夕陽村舎」「閭塾」が現在の場所に開設される

1794寛政 647『北上歴』の旅に出る  父樗平の『三月庵集』(やよいあんしゅう)を編集する
1797

寛政 9

50

「黄葉夕陽村舎」「閭塾」が福山藩校の郷校となり、「廉塾」「神辺学問所」と称する

1800寛政 1253弟恥庵が京都で客死する
1801享和 元54福山藩儒官となり藩校弘道館で講釈を始める
1804文化 元57福山藩阿部正精の命で江戸に赴く
1805文化 258阿部正精に『福山志料』編纂を命じられる
1807文化 460神辺大火で茶山宅は全焼、塾はまぬがれる
1808文化 561門田朴斎が入門する
1809文化 662頼山陽が廉塾の都講(塾頭)になる
1810文化 763後に廉塾の後継者になる甥の子、菅三が生まれる
1811文化 864頼山陽が廉塾を去る
1812文化 965『黄葉夕陽村舎詩』前編が刊行される
1813文化 1066『三原梅見之記』が成る  北條霞亭が廉塾の都講になる
1814文化 1167阿部正精の命で江戸に赴く
1818文政 元71大和・吉野・京都に遊ぶ  『大和行日記』が成る
1820文政 373門田朴斎を養子とする  『室町誌』をまとめる
1823文政 676『黄葉夕陽村舎詩』後編が刊行される
1826文政 979妻の宣が歿する
1827文政 1080門田朴斎を離縁し、菅三を養子とする
8月13日歿する  川北村網付谷に葬られる
1832天保 3 『黄葉夕陽村舎詩』遺稿が刊行される
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