ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
福山市神辺歴史民俗資料館 > 神辺の文化財 > 福山市指定文化財 > 神辺の文化財 「福山市指定文化財」

神辺の文化財 「福山市指定文化財」

印刷用ページを表示する 掲載日:2010年4月10日更新

竹尋行政文書 (福山市重要文化財)

1984年7月14日指定

竹尋行政文書 地方行政は中央政府が決定した政策を受けて行われていました。しかし、昔はその政策がどの程度地方で反映されていたか明らかでない場合がほとんどです。
 竹尋行政文書は、1871(明治4)~1963(昭和38)年における福山市神辺町竹尋地区(当時の安那郡~深安郡)の行政文書で総数約4,000点にもおよびます。この時代の地方行政文書がこれだけ揃った状態で残っていることは非常に稀で、中央政府と地方行政の政策が比較できる貴重な資料といえるでしょう。

中谷廃寺跡 (福山市史跡)

1984年7月14日指定

蓮華文軒丸瓦(出土品) 中谷廃寺は福山市立道上小学校の下に眠り、地元では、暮待寺という寺が火災により消滅した跡と伝えられています。元々この小学校の敷地は畑で、耕作土に混じりたくさんの古瓦などが出土していました。
 1970(昭和45)年の敷地造成工事の際に古瓦・礎石などが出土し、1978(昭和53)年の校舎増築工事に先立って発掘調査が行われました。それによると東・西・北の三方を尾根に囲まれた丘陵中腹の東西90m、南北70mの平坦地に寺が建立され、西に塔、北に講堂を配し、出土した瓦や土器から白鳳期(7世紀後半)から平安時代終わり頃まで続いた寺であることがわかりました。寺跡すべての調査が終わっていないため、金堂(本尊を安置する仏殿)や回廊・門などの存在は不明ですが、金堂は塔の東にあったと推測されています。現在道上小学校では講堂の礎石を復元しています。

早田荒神社のムクノキ (福山市天然記念物)

1987年10月20日指定

早田荒神社のムクノキ(夏)

早田荒神社のムクノキ(冬)

 ムクノキはニレ科の落葉高木で、4月頃に葉が生え、その根元に淡い緑色の小さな花を付けます。そして10月頃に直径7mmから12mm程度の球形で緑色の果実を付け、それが熟すと黒紫色の甘く美味しい実となり、ムクドリがたくさん集まってくることでよく知られています。成長すると高さ20m以上、幹周り3.3m以上の巨樹になり、江戸時代には飢饉に役立つ木として大切にした地域もあります。木材はやや堅めで弾力性があり、昔から建築用材、家具、天秤棒、牛の鞍など幅広く使われてきました。分布は関東以南に多くみられ、比較的成長が早く巨樹になることから天然記念物に指定されることが多く、三重県津市には推定樹齢1500年、高さ約18m、幹周り約9mにもおよぶ国の天然記念物があります。
 福山市神辺町川南の早田荒神社境内にあるムクノキは、高さ約30m、幹周り4.9mの広島県内8番目の巨樹で、地域の人たちから神木として大切にされてきました。ムクノキを神木とする例は全国各地で見られ、地元では「早田の狐や狸が中条へ遊びに行った帰りの目印になるので切ってはいけない」という言い伝えが残っています。

名越のアベマキ (福山市天然記念物)

1991年8月23日指定

名越のアベマキ(夏) アベマキはブナ科の落葉高木で関東以南の山地に自生しており、西日本では雑木林の中で普通に見ることができます。4~5月頃に花を付け、9~10月頃には果実を付けます
 福山市神辺町平野の名越(なごえ)にあるアベマキは、高さ約20m、幹周り約4mで、アベマキとしては広島県内5番目の巨樹です。地元の言い伝えでは推定樹齢約400年で、昔この地に移り住んだ祖先によって「田の水が涸れぬよう、また水害に遭わぬよう」にと社(やしろ)を建て、雨乞い・雨止みを司る水の守り神として貴船神社を祀(まつ)り、その神木としてこのアベマキを植えたといわれています。台風で上部が折れ、樹高は低くなりましたが樹勢はまだまだ旺盛で、今でもこの地の水を守る神木として大切にされています。

神辺城址のアベマキ (福山市天然記念物)

1987年10月20日指定

神辺城址のアベマキ(夏)

神辺城址のアベマキ(冬)

 アベマキはブナ科の落葉高木で関東以南の山地に自生しており、西日本では雑木林の中で普通に見ることができます。4~5月頃に花を付け、9~10月頃には果実を付けます
 福山市神辺町川北の神辺城址のアベマキは、樹齢は不明ですが、高さ約30m、幹周り約3mの巨樹で、黄葉山(こうようざん)一帯に広がる吉野山公園山頂の神辺城本丸跡付近で神辺平野を一望するかのようにそびえ立っています。その存在は平野部の数km離れた場所からでも確認できるほどの大きさです。
 樹勢は非常に旺盛で、夏は多くの葉を付けその大きさを際立たせ、秋は黄葉し周辺にたくさんのドングリを落とします。冬は周りの木々とともに落葉し、より遠くからその存在が確認でき、春は花を付け公園のサクラに囲まれ見所の1つになっています。

友定のナツメ (福山市天然記念物)

1987年10月20日指定

友定のナツメ(夏) ナツメは中国原産のクロウメモドキ科の落葉高木で、街路樹や庭木などに幅広く植えられ、果実は菓子材料や漢方薬として利用されています。花は淡い緑色ですが小さくてあまり目立ちません。果実は2cm程度の卵型で、熟すと赤黒く次第に乾燥してシワができます。その名のとおりナツメヤシに似ていることからナツメと呼ばれるようになりました。19世紀には欧米にも入りキャンディーの材料として使われました。韓国では薬膳料理や、煮た成分をお茶として利用しています。
 福山市神辺町三谷の友定(ともさだ)のナツメは、高さ約8m、幹周り1.9mとナツメとしては広島県内で最大級の大きさを誇ります。樹齢は不明ですがかなりの老木で、根元に大きな穴が開き樹勢に衰えが見えますが、今でも花や実を付けています。

神辺ニ上り踊り (福山市無形民俗文化財)

1987年10月20日指定

神辺ニ上り踊り(昭和37年)

神辺ニ上り踊り(昭和37年)

 二上り踊りは、三味線・鉦・太鼓の音に合わせて歩きながら踊り、三味線の調弦法から本調子・二上り・三下りの3つの踊りに分けられます。手振りで表現する素朴な踊りだけに奥が深く、踊りの輪に入るにはかなりの経験を必要とするそうです。
 神辺の二上り踊りの起源は明らかではありませんが、1443年頃の神辺城改築の完成を祝って踊ったのが始まりという説や、1619(元和5)年の水野勝成の神辺城入城を祝って踊ったのが始まりという説があります。その後、福山城築城により神辺城は取り壊され、神辺は城下町から宿場町となり、二上り踊りは盆供養や街踊りとして庶民の間で広く踊られてきました。
 現在、福山市神辺町の二上り踊りの保存会は1976(昭和51)年に結成された「神辺ニ上り保存会」と、「七日市上二上り保存会」とがあり、ともに地元の夏祭りや各種イベントなどに参加し、古くから伝わる郷土の伝統芸能を継承しています。

御領はねおどり (福山市無形民俗文化財)

1991年8月23日指定

御領はねおどり(昭和47年)

御領はねおどり

 御領はねおどりは、踊り手が鉦の音と手に持った太鼓を打ち鳴らしながら舞い、その踊り手を扇子を持った鬼がはやしたてる勇壮な踊りです。起源は明らかではありませんが、一説には1441(嘉吉元)年、京都の嘉吉の乱の時、備後守護代・犬橋満泰(いぬはし みつやす)が、戦功を祝って鉦・太鼓で踊らせたのが始まりといわれています。1619(元和5)年、神辺城主となった水野勝成は、この勇壮活発な踊りが士気を鼓舞すると奨励し、郡内各村に鉦・太鼓を支給し、藩命として秋祭り・虫送りなどの諸行事で躍らせました。それ以後も庶民の間で盛んに踊られましたが、第2次世界大戦に入り鉦などの鉄製物は軍隊に供出され、若者は戦地へと向かい一時途絶えてしまいます。1946(昭和21)年、青年団の復活により御領はねおどりも再開されました。
 現在も伝承活動に努め、地元の八幡神社の祭礼や各種イベントなどで踊られています。御領はねおどり保存会には、1860(万延元)年に皮を張り替えたという記録が墨書きで残る太鼓が伝わっています。
  • このページのトップへ
  • 前のページへ戻る