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≪インタビュー企画≫福山最古の祭りこそ、日本最古の祇園祭!?

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年6月30日更新

 「祇園祭」と名の付く祭りは、北は北海道、南は鹿児島まで日本各地に存在しますが、なかでも特に有名なのは京都の八坂神社の祇園祭でしょう。実は、その祇園祭の発祥が福山だという説があるんです。もしそうだとしたら、それってすごいことだと思いまいません?
 今回は、祇園祭を執り行う素盞嗚(すさのお)神社(新市町)の宮司江熊康夫さんと素盞嗚神社総代会長野宗一郎さん、さらに神輿(みこし)の担ぎ手から、中須(なかず)祭典実行委員長・皿海茂樹さん、新市(しんいち)祭典実行委員長・藤原康弘さん、戸手・相方(とで・さがた)祭典実行委員長・田和勝也さんにお話を伺いました。

江熊さんと野宗さん
▲素盞嗚神社宮司 江熊康夫さん(右),素盞嗚神社総代会長 野宗一郎さん(左) 

 皿海茂樹さん(左),藤原康弘さん(中央),田和勝也さん(右)
▲中須祭典実行委員長 皿海茂樹さん(左),新市祭典実行委員長 藤原康弘さん(中央),戸手・相方祭典実行委員長 田和 勝也さん(右)

 ―そもそも祇園祭が福山にあるってこと自体はじめて知ったのですが―

野宗:大きく告知したりはしていません。けど、昔から続く歴史ある祭りです。「祇園祭」は全国各地で行われていますが、ここ素盞嗚神社の「祇園祭」は平安時代にはすでにはじまっていたと考えられています。ですから、もう千百年以上続いている祭りということになりますね。 
素盞嗚神社祇園祭素盞嗚神社祇園祭

▲2015年は7月17日(金曜日)~19日(日曜日)に開催。 最終日に行われる「けんか神輿」は圧巻。

―歴史あるお祭りなんですね―

江熊:江戸時代以前の古文書が残っていないのではっきりいつからとは申し上げられないのですが、素盞嗚神社の創建がそもそも600年代と伝えられていますから。それはもう歴史あるお祭りです。祇園祭はもともと京都じゃのうて、備後すなわちここ福山が発祥だといわれているんですよ。最近の本にもここが発祥と考えて違いないと書かれているものもあるぐらいなんです。

―待ってください。それってすごいことじゃないですか―

江熊:「祇園祭」の原点は、奈良時代から平安時代にかけて起きた疫病や干ばつ、天変地異を鎮めるための儀式。八岐大蛇を退治した素盞嗚尊と牛頭天王(ごずてんのう)の力を借り、怨霊を鎮め、平穏な世を取り戻そうとしたのがはじまりです。それがここ福山の素盞嗚神社(旧名:疫隈国社(えのくまのくにつやしろ))から、今でいう兵庫の播州明石浦に着き、姫路の播州広峰に渡り、さらに京都の北白川東光寺から現在の八坂神社、祇園感神院まで伝播していったということはほぼ明らかなことなのです。

江熊さん

―全国の祇園祭の起源となる素盞嗚神社の祇園祭、ぜひ見てみたいです―

野宗:京都の祇園祭のような華やかさとはまた別の趣を感じてもらえると思いますよ。

―福山の祇園祭は、「けんか神輿」とも称されるようですが、そんなに長いこと喧嘩を?―

野宗:いやいや(笑)。ただ神輿をぶつけ合うわけではありません。祭りは神事ですから、決まり事は守ります。3つの地区がそれぞれの誇りをぶつけ合うんです。とはいえ、昔はもっと激しかったですね。重さ600kgもある神輿が軒を連ねる屋台を潰しおったもんです。

けんか神輿

江熊:昔は祭りが終わった後、そこらじゅうに靴が落ちていたものですよ。観客の方に神輿が倒れそうになると、みんなが必死でいっせいに逃げるんでね。そのあとに大量の靴が残ったんです(笑)。

―おっと、なんと大胆な―

江熊:安心してください。今はお客さんが怪我しないよう玉垣柱にロープを張って区切っていますから。逃げなくても大丈夫です。

藤原:神輿の担ぎ棒一本につき担ぎ手が約20人。一つの神輿につき前後左右担ぎ棒が4本ですからね。計約80人が入れ替わり立ち代り神輿を担ぐんです。その神輿同士がぶつかり合うのは今でこそ境内だけですが、昔は町中あちらこちらでぶつかっていました。

皿海:今はね、神輿の通るルートが決められていますがね、昔はそれがなかったのでけっこう遠くまでぶつかりに行っていましたよ。

皿海さん

―ぶつかり合うときのルールなどはあるのでしょうか―

藤原:神輿の角じゃなくて面でぶつかるようにとかね、担ぎ手も苦しいんでね。

田和:神輿を合わせてからが勝負です。

皿海:それも信頼関係あってこその真剣勝負。ぶつかり合いというか重ね合いです。

野宗:今の神輿はもう重たすぎるわ(笑)。

―昔より今の神輿のほうが重いんですか?―

江熊:今の神輿が107歳。明治時代のものですね。毎年、祭りで壊れるたびに直して使っていたら、どんどん重くなったんですわ。
 昔、京都の宮大工にお願いして神輿をつくったそうなんですがね、宮大工が出来上がったばかりの神輿がぶつかり合い、目の前で壊れていくのを見て、泣いて京都に帰ったそうですよ。数ヶ月かけてつくった神輿が、数時間であっという間に壊れていくわけですからね。まあ、つくった人はショックでしょうね(笑)。

―激しい。男の祭りですね―

野宗:神輿のぶつかり合いもそうですが、見どころはたくさんありますよ。

皿海:本殿から神輿に御霊を移す儀式もそうですし、御旅所といって神輿を休ませるための場所に登る山道での神輿もなかなかの迫力です。

田和:手ぶらで登るのにも大変な山道を約600kgもある神輿を担いだまま登るんですからね。

藤原:傾斜は45度ほどかね。険しい道をあえて選んで登り、担ぎ手の力の強さや意地を見せるんです。勇壮な光景ですよ。

御輿が急斜面を登る御輿が急斜面を登る

野宗:新市と中須の神輿には擬宝珠が付いているんですが、戸手・相方の神輿には鳳凰が付いているんです。だからか、祭りのトリを務めるのは昔から戸手・相方と決まっています。

田和:私たち戸手・相方地区が代表して、祭りのあと3地区の神輿を片付けるのが昔からのしきたりです。これは祭りが始まった頃からずっと変わらないこと。そこに戸手・相方としての誇りがありますね。

田和さん

野宗:祭りは戸手・相方ではじまり、戸手・相方で終わるんですわ。

田和:最後、ほかの地区の神輿がどんな状態になってるか気になるわけですよね、みんな。神輿のダメージで、今年の勝ち負けをみるというか。祭りのあとにそれを確認するのは戸手・相方だけができることなんです。

―3地区のみなさんそれぞれ、祇園祭には思い入れがあるんですね―

藤原:もちろん対抗意識はありますし、年に一度の祭りですから本気は本気ですけど、ただ喧嘩し合うんじゃなくてね、意地と意地のぶつかり合いというか。

藤原さん

皿海:とはいえまあ、喧嘩は喧嘩ですからね。当然、喧嘩には勝ち負けがあるんだけど、人と人じゃなくて、ぶつかり合うのは地域と地域ですからね。

田和:担ぎ手同士のにらみ合いの中で、若い者の中には逃げる奴もいるくらいです。

皿海:はじまってから終わるまで、本気で意地を出し切るんで、だから祭りが磨き上がってきたっていうんでしょうかね。

担ぎ手の皆さん

藤原:祭りによって、町全体が一つになるという感覚もありますね。

皿海:地元から離れて暮らしている人も、祇園祭の時期はみんな帰ってくるんです。盆や正月より、ようけ帰ってきますわ。

田和:どこで暮らしてたって、ここ福山の人間なんです。

藤原:子どもの頃から親父らが担いでいるのを見ていた。そして、もちろんその親父もじいちゃんが担いでいるのを見てきたわけです。これからもそうやって、子孫に残していきたい祭りですね。

皿海:祭りが終わってから1年間、その祭りを振り返ってはまた新しい祭りを迎えるんです。

藤原:祭りは実質2日間なんですけど、1年間、酒の肴になりますからね(笑)。

担ぎ手の皆さん

野宗:新市、中須、戸手・相方と、それぞれ地区が違っても、素盞嗚神社の御霊が入った神輿を担ぐ、同じ氏子です。それぞれを尊重し合って、認め合って、信頼し合っての真剣勝負。ぜひ一度観て、感じてもらえたらと思います。