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偉人 ~菅茶山(かんちゃざん)~

印刷用ページを表示する 掲載日:2017年8月1日更新

菅茶山

江戸期の朱子学者,詩人。幕府の大学頭から当代一の詩人と評されています。

神辺学問所(廉塾)を起こし,民衆教育に尽力しました。酒造業を営む農家菅波樗平(すがなみちょへい)の子として生まれ,幼少期から書を好み,詩作に励みました。ふるさとが山陽道の宿場として栄える一方,賭博や飲酒が横行するのを憂い,民衆の教育によって町を良くしようと決意しました。のちに関西の孔子と呼ばれた備中の西山拙斎と京に上り,那波魯堂に師事,朱子学を学びました。

帰郷後の1781年に私塾「黄陽夕陽村舎(こうようせきようそんしゃ)」を開きました。藩の郷学となってからは公式には神辺学問所,一般には廉塾と称しました。山陽,南海地方から多くの人が学び,頼山陽も都講(塾頭)を勤めました。

詩人としても平明で,写実的な詩風で江戸後期の文人に衝撃を与え,昌平黌(しょうへいこう)の三博士から安芸の頼春水(らいしゅんすい)・頼杏坪(らいきょうへい)ら諸藩の学者と広く交流。幕府の林述斎大学頭(はやしじゅっさいだいがくのかみ)に「方今海内(ほうこんかいだい)の詩は菅茶山の右に出るものがない」と言わしめ,福山藩の儒官として藩校弘道館にも出講しました。

詩集「黄陽夕陽村舎詩集」のほか,藩の地誌「福山志料」など多くの編集・著作を残しています。

「廉塾ならびに菅茶山旧宅」は1953年,国特別史跡に指定されています。