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歴史と鞆

印刷用ページを表示する 掲載日:2014年9月10日更新
室町幕府は鞆に興り,鞆に滅びる

室町幕府は鞆に興り、鞆に滅びる

足利尊氏から15代将軍足利義昭まで200年以上にわたって続いた「室町幕府」。
ここ鞆の浦で「錦の御旗」である院宣を尊氏が受けとったことから始まった。
また、最後の将軍義昭は、織田信長によって京を追われ鞆の浦で毛利氏の庇護のもと「鞆幕府」を置いたが滅んだ。

 
能舞台

秀吉の移動式「能舞台」が今に伝える栄華

沼名前神社の能舞台は、豊臣秀吉遺愛のもの。
京都伏見城内にあったが、伏見城解体のとき、福山藩主水野勝成が徳川2代将軍秀忠から拝領。後に神社に寄進された。
国の重要文化財であり、現在は固定されているが、日本で唯一現存する移動式能舞台。
江戸時代の鞆の浦では年に1回高級文化の「能」を見られた。さらに京都や大坂の一流役者などが集められていた。
これは天下の大商人がひしめく鞆の浦だったからこそ。

 
頼山陽が絶賛「山紫水明」の地

頼山陽が絶賛「山紫水明」の地

1814年(文化11年)頼山陽は滞在していた大坂屋の門楼を「対仙酔楼」と名付け、書を残した。
「対仙酔楼記」では、窓からの景色を「山紫水明処」と描写し、熟語の語源となったとされている。

 
保命酒

黒船のペリーも絶賛した!?
保命酒(ほうめいしゅ)

江戸時代、福山藩を代表する特産品として、幕府への献上品となった『保命酒』。
幕末には、黒船のペリー提督一行やハリス領事一行らに幕府接待酒として『保命酒』が振るまわれたという。

 
シーボルトが寄港

シーボルトが寄港

「たいへんきれいな町並みで船の出入りがあり活気にあふれた町である」

江戸時代、オランダ商館長の江戸参府に同行したドイツ人医師シーボルトが鞆港に立ち寄ったことを記した史料が発見された。

「江戸参府紀行」シーボルト著斎藤信訳
平凡社1967年(昭和42年)発行より

「…正午ごろ上陸。たいへんきれいな町並みで、船の出入りがあり、活気にあふれた町である。…(略)…手入れの行き届いた住居は裕福なことを物語っており、住民は数千にのぼるようである。われわれは何軒かの家を訪ねたが、心から迎えてくれた。…(略)…」