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阿部正方墓域(あべまさかたぼいき)

印刷用ページを表示する 掲載日:2017年12月26日更新

市史跡 
        平成29年(2017年)11月17日指定

 福山藩阿部氏第九代藩主であった阿部正方の墓域。正方は,文久元年(1861年),14歳で福山藩主となり,尊皇攘夷の論議が国内に沸騰している中,文久三年(1863年)攘夷決行の命が下ると大任を拝して京都警護にあたり,国を二分する政争の渦中にあって宮中と幕府の間の調整にあたった。

 元治元年(1864年),幕府の命により福山藩は譜代大名として二度にわたる長州藩追討に向かったが,正方は悪しくもこの遠征中に脚気を患い,慶応三年(1867年)11月,戊辰戦争の前哨戦として長州軍が福山城に迫ろうとした時,病が篤くなり福山城内で死去した。騒動の最中であったため,遺体は一時小丸山の麓に仮埋葬されたが,明治三年(1870年)になって現在地(通称,小坂山)へ正式に埋葬された。

 福山藩主として十代続いた阿部家は,幕府の重役として代々江戸詰めが多かったことから他の藩主の墓は全て江戸にあるが,幕末の混乱の中で亡くなった正方の墓は,唯一福山藩領内に造営された。墓は円筒形の神式墓で,側面に亀甲形の切石を精巧に貼り付け,上部を玉石で覆って土饅頭形にした特異な形態をしている。

所 在 地福山市北本庄
面    積2,005平方メートル(墓地,山林及び宅地を含む。)

阿部正方墓