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馬屋原重帯の寿蔵碑(うまやはらしげよのじゅぞうひ)

印刷用ページを表示する 掲載日:2016年3月31日更新

県指定史跡 昭和40年(1965年)4月30日指定

 重帯は宝暦12年(1762年),向永谷村の庄屋の家に生まれた。彼は実業の農業にはげむかたわら史書を読み著作を好んだ。壮年にして家事を弟たちにゆずり学問に専念。子弟を集めて自ら塾を開いた。また備後一円の史書として著名な『西備名区』90巻(県重文)をはじめ,備南の年中行事や風俗をしるした『風俗問状答書』などを独力で編著する偉業を成し遂げた。『西備名区』を備後一の宮に奉納して数年後の天保7年(1836年)75才で没した。
 この碑は天保2年(1831年),門人たちが彼70才の時,業績をたたえて建立したもので,方柱型,花崗岩製である。

所 在 地駅家町大字向永谷
構造・年代天保2年(1831年) 

馬屋原重帯の寿蔵碑