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南禅坊本堂(なんぜんぼうほんどう)・南禅坊山門(なんぜんぼうさんもん)

印刷用ページを表示する 掲載日:2020年12月1日更新

登録有形文化財 平成26年(2014年)12月19日登録 

 南禅坊は浄土真宗本願寺派の寺院で,天正年間(1573~1591年)創建。当初は福禅寺の南隣にあったが,江戸時代中期(正徳六年・1716年)現在地に移転した。『福山志料』には延享五年(1748年),朝鮮通信使(第10回)の学士・書記と福山藩の学者伊藤大佐が南禅坊で接会し,漢詩文を唱和したことが記されており,江戸時代を通して朝鮮通信使の宿舎として使われた。本堂は,文政五年(1822年)火災にあったが,万延元年(1860年)再建した。

 本堂は,内部を内陣(ないじん)・余間(よま)・外陣(げじん)に区分し,前面に吹き放ちの広縁(ひろえん),三方に落縁(おちえん)をめぐらしている。要所に組物を多用し,豪華な彫刻を用いるなど,幕末以降に流行する装飾的な真宗本堂である。

 山門は,一間一戸の四脚門の上部に,方一間で入母屋造(いりもやづくり)本瓦葺(ほんがわらぶき)の上層を増築し,鐘楼とする。木部には全体にベンガラが塗られ,上層正背面に火灯窓(かとうまど),両側面に円窓(えんまど)がある。軒先には強い反りがあり,異国情緒を漂わせる。上層の懸魚に文化七年(1810年)の墨書があり,朝鮮通信使(第12回)の来朝予定に備えて増築され,現在の姿になったと考えられる。

所 在 地 鞆町後地 南禅坊
員    数 2棟
構造・年代

本堂:木造平屋建,入母屋造,本瓦葺,一間向背を付している

山門:木造二階建,本瓦葺,一間一戸の四脚門の上部に,方一間で入母屋造本瓦葺の上層を増築,鐘楼門

本堂:江戸末期,昭和40年・平成7年改修

山門:江戸中期,文化7年(1810年)改修

規模・法量

本堂:桁行14m・梁間17m

山門:桁行2.3m・梁間2.1m

南禅坊本堂 南禅坊本堂

南禅坊山門 南禅坊山門