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福山城跡(ふくやまじょうあと)

印刷用ページを表示する 掲載日:2023年9月19日更新

国指定史跡 昭和39年(1964年)2月7日

 元和5年(1619年)安芸・備後の領主福島正則の改易により,備後10万石の領主として大和郡山より転封してきた水野勝成が構築した近世城郭である。
 勝成ははじめ神辺城にいたが,領内を巡視し,野上村常興寺山を城地に選定,築城をはじめた。元和8年(1622年)8月に竣工し,勝成はその15日に入城,城号を敵追山(鉄覆山)朱雀院久松城またの名を葦陽城ともいい,城下を福山と命名したと伝える。
 城郭は平山城で,東,南,西は二重の堀をめぐらし,北は吉津川を通し,小丸山(市史跡),天神山(松山),永徳寺山が天然の防塁となっている。現在三の丸,堀などはほとんど失われているが,本丸,二の丸はよく旧態をとどめている。
 建造物としては,昭和20年(1945年)の空襲でほとんど焼失したが,伏見城から移築したと伝えられる伏見櫓(重文),筋鉄御門(重文)が現存しており偉容を示している。天守,御湯殿,月見櫓は昭和41年(1966年)に,鏡櫓は昭和48年(1973年)に再建されたもので,鐘櫓(市重文)は昭和54年(1979年)に修復されたものである。
 福山城は「西国の鎮衛」たる城主の居城にふさわしい威容を示し,城郭史上価値ある遺構である。

 

所 在 地 丸之内一丁目
構造・年代 元和5年(1619年)~元和8年(1622年)
関連施設 名称 福山城博物館 
電話番号 084-922-2117 
公式HP 福山城博物館 (fukuyamajo.jp)

福山城

福山城

福山城