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二子塚古墳(ふたごづかこふん)

印刷用ページを表示する 掲載日:2017年5月22日更新

国指定史跡 昭和23年(1948年)9月17日(県史跡)指定
         平成21年(2009年)7月23日(国史跡)指定

 駅家町の平野部をみおろす東にのびる丘陵上に築かれた古墳である。墳丘は全長68mの前方後円墳で,後円部は直径41m,高さ6.5m,前方部は幅27m,高さ4m,くびれ部は幅20mを測り,幅1.6~4m,深さ0.4から1.8mの周溝が巡っている。
 埋葬施設は後円部,前方部の2ヶ所に横穴式石室が築かれており,前方部のものはかなり破壊されているが長さ12.6m(※)と確認されている。後円部の石室は花崗岩を使用した南に開口する両袖式横穴式石室で,規模は現状で,全長14.9m,玄室は長さ6.8m,幅2.1~2.6m,高さ3.3m,羨道は長さ8.1m,幅1.6~1.9m,高さ2.2~2.6mを測り,県内では最長である。奥壁は1枚で,側壁は傾斜をつけて積み上げている。墓道の前には積石の墓道が造り付けられている。
 石室の中には兵庫県産の竜山石(凝灰岩)製の組合せ式石棺があり,副葬品は須恵器,土師器,鉄製武器,馬具などが出土した。中でも大刀の柄頭である金銅製双龍環頭柄頭は珍しい意匠である。

 石室の構造や副葬品から築造されたのは6世紀末から7世紀初頭と考えられる。遺物や石室の構造などに畿内との関係が認められ,近畿以西では最も遅く造られた前方後円墳の可能性がある。当時のヤマト政権と吉備勢力の政治状況を考える上で重要な古墳である。

※概数から実測値に修正(12m→12.6m)

所 在 地駅家町新山・中島
構造・年代6世紀末から7世紀初頭

二子塚古墳 二子塚環頭 

左:後円部石室,右:金銅製双龍環頭柄頭