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本庄重政墓(ほんじょうしげまさぼ)

印刷用ページを表示する 掲載日:2016年3月31日更新

県指定史跡 昭和18年(1943年)3月26日指定

 重政は福山藩主水野氏に仕えた本庄重昭の嫡子として生まれたが,家督を弟重幸にゆずり,江戸に出て兵法を修業し,島原の乱の際には戦功をたてた。半生の放浪を終え,岡山藩主池田光政に仕えた後,福山藩に帰った彼は,当初,高須(尾道市)に居を構え,新田開発,干拓や塩業の発展に努力し,延宝4年(1676年)70才で松永に没した。明暦2年
(1656年)に柳津新涯を,翌年には深津郡各地の新田を,万治2年(1659年)には高須新涯を開いた。また万治3年(1660年)から松永干拓に着手し,寛文7年
(1667年)までに塩浜とし松永塩田の基礎をつくった。
 死後,自ら福山から移した本庄家の菩提寺承天寺に葬られた。墓石は八角柱形の特異な形をしたもので,松永を臨む承天寺墓地の一角にある。

所 在 地松永町 承天寺
構造・年代延宝4年(1676年)

本庄重政墓