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水野勝俊墓域(みずのかつとしぼいき)

印刷用ページを表示する 掲載日:2016年3月31日更新

市指定史跡 昭和42年(1967年)1月31日指定

 勝俊は福山藩二代藩主で,慶長3年(1598年)備中国成羽に生まれた。元和6年(1620年)入国後しばらく鞆に居住していたが,寛永16年(1639年)42才で襲封した。父勝成にも劣らぬ武勇の士であったといわれ,勝成の事業を継承して領国経営の基礎である土木普請を着々と進めた。
 勝成の死後5年たらずの承応4年(1655年)58才で死去した。勝俊は日蓮宗に帰依し,妙政寺の大檀越となっており,妙政寺に葬られた。墓は巨大な五輪塔で,墓前には七人の殉死者の墓が並んでいる。

所 在 地北吉津町 妙政寺墓域
構造・年代承応4年(1655年)

水野勝俊墓域