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一宮(桜山慈俊挙兵伝説地)(いちのみや(さくらやまこれとしきょへいでんせつち))

印刷用ページを表示する 掲載日:2016年3月31日更新

国指定史跡 昭和9年(1934年)3月13日

 元弘元年(1331年)8月,北条高時を討つ謀議をめぐらしていた後醍醐天皇は,事の洩れたのを察知し笠置山に逃れ兵を募った。この時,備後の豪族宮氏の一族桜山四郎入道慈俊は楠木正成に呼応して挙兵,一宮(吉備津神社)の背後の桜山城に拠り,備後半国を従え,一時は安芸や備中へも進出しようとするほどの気勢をあげた。
 しかし笠置山が落城し,天皇もとらえられ楠木氏の赤坂城も陥落し,正成も戦死したとの風聞で味方は離散し,慈俊は一族郎党とともに翌2年正月,吉備津神社に放火し自害した。この伝説地として一宮周辺が史跡に指定されている。  

所 在 地新市町宮内
構造・年代鎌倉時代:元弘二年(1332年) 

一宮(桜山茲俊挙兵伝説地)