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菅茶山の墓(かんちゃざんのはか)

印刷用ページを表示する 掲載日:2016年3月31日更新

県指定史跡 昭和15(1940年)2月23日指定

 1827年に80歳で没した菅茶山は,川北の黄葉山山麓の網付谷に葬られた。35坪の墓地には26基の墓と2基の招魂碑がある。ほとんどは親族の墓だが,塾生の墓2基もある。菅茶山の墓は墓地の南寄りにあり,東を向いた瓦葺の屋舎に守られている。墓域は東西約4m,南北約1.8 mあり,石垣に囲まれた中に屋舎があり,その前面には門と2基の石灯籠がある。屋舎は約1.8×1mの規模で木造平屋建瓦葺であり,中に墳墓と墓碑がある。墳墓は直径約0.9mの円形で東側は直線的となり,0.3mの盛土が施され周囲には花崗岩を廻らせている。墓碑は約0.9×0.5×0.1mの台石にのり,高さ約1.4m,幅約0.6m,厚さ約0.3mである。千字に及ぶ撰文は頼杏坪,「茶山先生菅君之碑」の額題は日野資愛による。

所 在 地神辺町川北 個人所有
構造・年代江戸時代後期 

菅茶山の墓