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迫山第1号古墳(さこやまだいいちごうこふん)

印刷用ページを表示する 掲載日:2016年3月31日更新

県指定史跡 昭和61年(1986年)11月25日指定

 迫山古墳群は,備後国分寺の北西に広がる標高80mの丘陵頂部,東尾根,西尾根の3か所にまとまりが見られ,現在12基の横穴式石室墳が確認されている。
 このうち頂部にある,迫山第1号古墳は直径21.5m,高さ5mの円墳で,墳丘は黒色の土で版築状につき固められており,西側では浅い周溝,石室前面の両側には墳裾を示す数個の石が存在する。埋葬施設は南東に開口する片袖式の横穴式石室で,駅家町の服部川周辺に集中する二子塚古墳などの巨大横穴式石室に匹敵する規模を持っている。
 石室の開口時期は早く,平安時代末頃に撹乱を受けているが,昭和58年(1983年)と昭和61年(1986年)に神辺町教育委員会が発掘調査を行った際に内部から単鳳環頭太刀,刀,鉄鏃,馬具と思われる絞金具,勾玉,管玉,切子玉,棗玉,ガラス小玉,土製練玉,金銅製耳環,須恵器などの遺物が豊富に出土した。
 石室の構造や出土遺物から古墳時代後期末に築造されたものと考えられるが,単鳳環頭大刀や鍔に銀象嵌の文様をもつ刀が出土したこと,石室の規模などから迫山古墳群の盟主的な古墳と考えられており,神辺平野東部地域で勢力圏を獲得しつつ台頭してきた最も有力な首長墓と考えられる。 

所 在 地神辺町湯野
員    数1基
構造・年代古墳時代後期 

迫山第1号古墳