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福山市内に残る戦争遺跡

印刷用ページを表示する 掲載日:2020年7月22日更新

福山空襲の傷跡

 福山市内には,現在でも75年前の戦争の傷跡(戦争遺跡)が残る場所があります。 
 戦争遺跡は,私たちに同じ過ちを繰り返さないよう,戦争の悲惨さを伝えています。
 私たちの身近に残る戦争遺跡について知り,過去の悲惨な戦争を振り返り,命の尊さと平和の大切さについて考えてみませんか。

   ▶ 福山空襲によって焼失した家屋地図をダウンロード
      福山空襲による焼失家屋地図 [PDFファイル/2.58MB]

   ▶ 福山市内10カ所の戦争遺跡に福山空襲遺跡案内板を設置しています。
     詳しくはこちらのページをご覧ください。
      福山空襲遺跡案内板について(別ページ)

福山城周辺の戦争遺跡など

福山城の石垣(福山市丸之内)

福山城石垣福山城石垣アップ 福山駅北側道路沿いの石垣をよく見ると,高いところまで赤く変色し,石の角が丸くなっている(写真右側)のが分かります。空襲による火災で,高温の激しい炎に長時間さらされたため,鋭角だった石が変化しました。石垣は,空襲の激しさを伝えています。


 福山城について
 福山城は,徳川幕府の西国鎮衛の拠点として1622年(元和8年)に譜代大名・水野勝成によって築かれました。近世最後の城郭建築として,最も完成した城と言われましたが,1873年(明治6年)に廃城となり,鏡櫓など多くの建物が取り壊されました。さらに,1945年(昭和20年)8月8日の福山空襲によって,国宝に指定されていた天守閣と御湯殿も焼失しました。

安部和助別邸(福山市丸之内)安部和助別邸

 1930年代(昭和5年代)に海産物商人である安部和助により大規模な別荘(現在の福寿会館)が建設されました。
 福山空襲で玄関,台所,洋風居間,和風居間は焼失しましたが,大広間,広間,西客間,北客間,西茶室,南茶室は罹災を逃れました。敷地内には,空襲で破壊された玄関跡や破損した石段,炎で変色した石垣など,戦争の記憶を伝える遺構が今も残っています。

 現在,福寿会館として使用され,福山市の重要文化財となっています。

防空壕跡(福山市丸之内)

防空壕跡 福山城公園内には,崖を利用した防空壕の跡が残っています。この防空壕は,近隣の人々が共同で造り,身を守るため利用していたそうです。現在は,崩落等の危険があるため埋め戻されています。

高野山福山別院(福山市丸之内)高野山福山別院石畳

 福山空襲により,本堂は全焼し,現在でも本堂基壇石,鐘楼台座,手水鉢,本堂に通じる石畳などに空襲の傷跡が残っています。右の写真は,油脂焼夷弾が命中した痕が残る本堂前の石畳の写真です。

福山市人権平和資料館(福山市丸之内)

福山市人権平和資料館 母子三人像(資料館)福山城公園の一角にある福山市人権平和資料館は,1994年(平成6年)8月30日に開館しました。

 資料館の1階では「福山空襲の実相と戦時下のくらし」,2階では「部落の歴史と解放のあゆみ」について常設展示を行っています。年間,約1万人の人が訪れ,人権の尊さと平和の大切さを学んでいます。

 また,資料館の1階には福山市戦災死没者慰霊の像(母子三人像)が建立されています。

 

 

 


市内に残る戦争遺跡

吉津川に架かる土橋(福山市吉津町)土橋

 写真右下の土橋の親柱は,福山空襲によって倒れてきた民家が石の欄干に直撃し,火と熱風により被害を受けました。上部にある火袋は,戦後になって復元されたものです。
 破損したままの状態で現在に至っており,空襲の悲惨さを今に伝えています。 

光善寺(福山市東町)

光善寺の軒 福山市東町にある光善寺。山門と英霊堂のみを残してすべて焼失しました。
 英霊堂の屋根には,焼夷弾の傷跡を残す貴重な遺跡として現在の場所に移設して,大切に保存されています。
 英霊堂は,福山空襲遺跡として現存するものの中で,唯一の木造建築物です。

 

大念寺の石仏(福山市寺町)大念寺の石仏アップ

 福山市寺町にある大念寺は,福山空襲により,本堂などの建物は,すべて焼失しました。
 境内にあった石仏も,焼夷弾を受けて顔の一部が破損しています。場所を移転して安置されています。

 

福山最上教会(福山市東桜町)

福山最上教会 福山最上教会は,福山空襲によって本堂を焼失しました。
 境内には,火と熱により赤く焼けた自然石の供養塔二基が残っており,空襲の凄まじさを伝えています。

福山護国神社跡(福山市草戸町)福山護国神社跡

福山護国神社 傷跡 1940年(昭和15年)以降,多くの奉仕者によって護国神社本殿の建設が進められました。
 しかし,1945年(昭和20年)8月8日の福山空襲で完成間近の本殿は焼失し,参道にかかっていた神橋のみ残りました。
 橋の中央あたりには焼夷弾による焼け跡とくぼみ(写真左側)が残っており,当時の空襲の凄まじさを伝えています。

福山市中央公園(福山市霞町)

福山遊園地の噴水池

遺跡看板噴水噴水池の噴水上部
 福山市中央公園には,かつて福山遊園地がありました。
 福山遊園地の広場には噴水池があり,1945年(昭和20年)8月8日の福山空襲時,多くの人が飛び込んで炎と熱風から身を守ったそうです。公園のシンボルでもあった噴水池の噴水上部(写真右側)が記念として残されました。
 野外音楽堂の一角に埋められていましたが,2008年(平成20年),まなびの館ローズコムの建設に伴い,現在の地へ移設され保存されています。

福山空襲の悲惨さを伝える2つの慰霊碑

 福山市中央公園内には,福山空襲の悲惨さを伝える「福山市戦災死没者慰霊碑(母子三人像)」と「原爆死没者慰霊碑」が建立され,慰霊と平和を願う場所となっています。毎年8月8日にはこの場所で慰霊式が行われます。

福山市戦災死没者慰霊碑(母子三人像)

中央公園母子三人像 福山市制五十五周年記念事業として,空襲の翌朝,被災した母子を目撃した証言をモチーフに,1972年(昭和47年)「追憶」という母子像が建立されました。

 この母子像は,戦災で亡くなった市民の慰霊と平和への祈念の象徴となっています。

  【福山市戦災死没者慰霊碑(母子三人像) 作:今城国忠】

原爆死没者慰霊碑慰霊碑

 多くの被爆者の冥福と核兵器廃絶並びに恒久平和を祈念して,1989年(平成元年)8月に建立されました。

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