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人権平和資料館案内 福山空襲の実相と平和

印刷用ページを表示する 掲載日:2013年12月2日更新

福山空襲の実相

被災状況

■福山への空襲は1945年3月から始まった。 最初はグラマンF6F艦上戦闘機によって、大津野村の福山海軍航空隊への機銃掃射が繰り返された。■7月31日夜、B29が1機飛来し、空襲予告ビラ約6万枚を散布した。■8月8日22時25分、91機のB29が襲来し、約1時間にわたり、556トンの焼夷弾を投下した。●市街地焼失面積…314ヘクタール(市街地の約80%)●犠牲者数 …354人●重軽傷者数…864人●焼失家屋数…10,179戸●被災人口 …47,326人(市民の81%)
炎に包まれる市街地の画像です。
炎に包まれる市街地 絵:藤原邦子(三吉町)敵機、夜明けの空をゆうぜんと帰っていくのをこの目で見ました.(原文のまま) 

予告された空襲

リーフレット心理作戦 /Leaflet Psychological Warfare

本土空襲の第3期、アメリカ軍は焼夷弾のほかに大量の紙の爆弾「空襲予告ビラ」を投下した。伝単とも呼ばれたこのビラは、1945年7月27日から8月5日の間に3種類、計198万枚が32都市にまかれ、実際に半数の16都市が空襲された。
空襲予告ビラの写真です。

福山大空襲

福山大空襲後の市街地

空襲直後の福山駅の写真です。
戦災後の福山市街の写真です。
焦土と化した市街地の写真です。
福山戦災地図の写真です。

もう一つの福山空襲

福山海軍航空隊と神風特別攻撃隊

福山海軍航空隊跡(福山市大門町津之下)と福山海軍航空隊(当時の深安郡津之下)の写真です。
福山海軍航空隊跡(福山市大門町津之下)と福山海軍航空隊(当時の深安郡津之下)
神風特別攻撃隊出撃の写真です。
神風特別攻撃隊出撃

平和をもとめて

原水爆禁止運動福山推進連盟の結成

1954年3月1日の第五福竜丸事件をきっかけに、原水爆禁止の署名活動が全国に広がった。 福山では、被爆・空襲・多くの戦禍を経験した市民が中心となって、1955年7月20日「原水爆禁止運動福山推進連盟」を結成した。  そして、次の三原則をもとに今日まで、市長を会長に市民ぐるみの活動を続けている。●いかなる国の核武装・核実験・核戦争にも反対する。●被爆者救援活動の徹底を期する。●福山戦災の惨禍を全市民が銘記して、平和運動の基調とする。(連盟結成時の原文)※第五福竜丸事件:太平洋ビキニ環礁で、アメリカの水爆実験により、静岡県焼津市のマグロ漁船第五福竜丸が“死の灰”を浴び、無線長の久保山愛吉さんが亡くなった。