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管理者室より 2019年度

No180 ある学会-英語化に思うこと-

2019年7月3日  

 本年6月、高松で日本肝胆膵外科学会が開かれたので、出席してきました。この学会はその学会名の通り、肝臓や胆管、胆嚢、膵臓などの悪性腫瘍をはじめ、その他の肝胆膵疾患の外科治療を主に論ずる学会で、当院からも7題の発表をしました。この国には学術分野ごとに実にさまざまな学会があり、医療の世界でも数多くの学会があります。私は今でこそ多くの学会を退会していますが、現役の外科医の頃は10いくつの学会に属していました。家内からは「雑誌も読まないような学会なんて辞めたら」といつも言われていました。私ですらそうなのですから、大学の教授ともなればこんな数ではおさまりません。年会費、学会出張費など大変だと思います。
 さて、この肝胆膵外科学会の発表、討論ですが、2017年の開催からすべて英語化されました。つまり発表は英語、そして質問などの受け応えも全て英語を使うことになりました。完全英語化になる前にはシンポジウムとか特別なテーマに限っては英語、ポスター等での発表は日本語で、といった具合に、準備期間は何年かありました。英語化の目的は学会をグローバルなものにしていくということ、またこの国の素晴らしい肝胆膵外科技術を世界に広く知ってもらうこと、海外からの発表者の参加を促したいことなど、多くあると思います。確かに以前に比べると海外からの発表者も増えているように思いました(今回は1,300人程の発表者のうち約100人が海外からだったようです)。
 昨年の学会が終了した後、「完全英語化」についてのアンケート調査があり、その結果は学会のホームページに公表されました。まさに賛否両論です。皆さんはどのように考えられますか。強烈な反対意見を覚えています。「質問されても分からない人が英語で受け応えをする。座長も意味が分かっていない。底の浅い議論しかできておらず学術集会の体をなしていない。英語での発表が重要なら海外の学会で発表すればよい」などが書かれていました。確かに討論の質は少し落ちたように私も思います。もちろん、日本人でも英語のできる人は多くいて、流暢な英語で発表したり、活発なディスカッションを行っている人はいます。しかし、会場の聴衆の中には理解できていない人もいそうです。まだ英語化されて日も浅く、産みの苦しみなのかもしれませんが、英語が得意でない私にとっては、「全て英語化」というよりは「日本語」で発表できるセッションもあったほうがいいのではないかと思っています。間違いなくその方が深いディスカッションや、手術手技の微妙な感覚を質問したり、説明したりしやすくなるのではないかと思っています。
 以前書いた記憶もありますが、藤原正彦さんが「祖国とは国語」という書の中で、英語第二公用語論に反論をされていて、我が意を得たりと思ったことがあります。英語の重要性は十分に認識をしていますが、英語教育を小学1年から始めても全ての人が英語を堪能に使う事はできないし、ましてそれ以上の時間を英語教育に費やせば他の教科の学習が不十分となり、それこそ大きな問題が起こることは間違いありません。藤原さんはそんなことになったら国民の知的衰退を確実に助長するとさえ言っておられます。つまり、祖国(この国)を祖国たらしめる文化や伝統、情緒等のかなりの部分が国語の中に凝縮されていると言われています。
 他の学会がどうなっているのかは知りませんが、少なくとも私の知る外科系の学会で「完全英語化」の学会は他にありません。さて、この先どうなっていくのでしょうか?

福山市 病院事業管理者 高倉範尚

No179 わけあり記者と「魂の書」のお母さん

2019年5月31日  

 いつ頃だったか、NHKのニュース番組で中日新聞社の三浦耕喜記者を取り上げていました。「わけあり記者」とは三浦さん自身が自分のことをそのように言っているのです。
 三浦さんはもともと中日新聞の政治部に属しておられて、ドイツ特派員なども経験された方のようですが、番組は社内の廊下の壁を支えにして、やや跛行(はこう)気味に歩いている三浦さんの映像から始まりました。この跛行こそが「わけあり」と彼が言う所以(ゆえん)なのです。
 三浦さんは東日本大震災の時の激務、過労もあり、その後うつ病を発症され、半年間の闘病のあと復職されましたが、ご両親が要介護の状態となり、「ダブル介護」をされていました。新聞社内での配属も政治部から生活部に配置転換となりましたが、三浦さんの「わけあり」には続きがあり、ご両親の介護をされているさなかに自分自身が「パーキンソン病」を発病されました。会話は遅くなり、取材時のメモ書きのスピードも極端に低下し、指、手、足などの筋力低下も起こり、パソコンの入力にも苦労をされているほどです。しかし、「わけあり」にならなければ「わからないこと」が多くあり、「わけあり」の人こそさまざまな情報発信をして、「わかるように」してほしいと言っておられました。三浦さんが取材を進めている人に、ホームページなどの作成を請け負う会社を19歳で立ち上げられた方がいました。この方は「筋萎縮性側索硬化症」という難病で全くの寝たきりです。その姿も映像で流れました。三浦さんや、この若い難病の人等、世の中にはわけありで頑張っている人が多くおられます。考えないわけにはいきません。
 魂の書のお母さんとは書道家の金澤泰子さんのことです。金澤さんの娘さんが金澤翔子さんといわれる方で、この翔子さんがダウン症なのです。翔子さんは優しく穏やかな性格で、いくら成績が悪くても落ち込むことがないし、他の子どもたちも翔子さんがいたら自分がビリになることがないので、大の人気者だったようです。ところが小学校4年生になる時、普通学級に行くことができなくなったので、お母さんは自分で翔子さんの教育に関わるようになり、「般若心経」を毎日毎日書かせたそうです。この頃書いた「般若心経」には翔子さんの涙の跡が今でも残っているそうですが、この翔子さんも書道家になり、翔子さんの書を見ると多くの人たちは涙を流し、彼女の書は「魂の書」と呼ばれているそうです。ある頃からお母さんは、翔子さん自身は自分がダウン症であることをなんとも思っていないことや、娘がダウン症であることに苦しんでいたのは自分自身であったことに気付きます。たしかに言語障害があったり、数列に弱かったりしますが、違う知性や知能がちゃんと育っているのです。2015年、翔子さんは30歳の時に国際連合で他の国のダウン症の代表の人たちに交じり演説をされたそうです。他の国の人は先生や親が付き添っていたのですが、翔子さんは1人で演説をされました。お母さんは涙が止まらなかったそうです。お母さんは翔子さんがダウン症であると告知をされた日から日記をつけておられます。最初のページには、「今日、私は世界で一番悲しい母親だろう」と記されたそうですが、30年経って、翔子さんが国連で演説する姿を見て、「翔子、お母さまは今、世界一、幸せだよ」と言われたそうです。
 翔子さんも「わけあり」です。三浦さんも翔子さんも人の心の扉を叩いてくれる人です。私などよりずっと若い人たちですが、頑張らなければ、という思いにさせてくれる素晴らしい人たちだと思います。

福山市 病院事業管理者 高倉範尚

No178 忖度(そんたく)

2019年4月24日  

 2017年の流行語大賞の一つに「忖度」が選ばれました。「モリカケ問題」が騒がれた年です。あれから一年以上経過しましたが、まだ「モリカケ問題」は完全には解決しておらず、「忖度」という言葉はもちろんのこと、それらしい感じを与えることさえご法度だと思うこの時期に、またまた下関と門司の間の橋だかトンネルだかを巡って「忖度」が出てきました。しかもその人は堂々と「私が忖度をしました」と口に出したのです。しかも、その人とは国会議員です。考えられません。国会議員ともなれば、われわれ一般人以上に良識があると思うのですが、どうなのでしょうか。
 そもそも「忖度」という言葉はずいぶん古い中国の言葉で、日本でも1,000年以上前から使われていた言葉のようです。ただこれまでは単純に「相手の心を推測する」という意味に使われていたものが、この10数年の間に「上役などの意向を推し量る」という意味で使われだしたようです。つまり、日本語の劣化と言うか、日本人の魂の劣化に伴って、本来の精神世界の意味から「モノの世界・欲の世界・ごますりの世界」の言葉に変わってしまったということです。情けないことです。
 さて、医療の世界に「今風の忖度」はあるのでしょうか?VIPの患者さんであれば「忖度」をして、受け付けの時間は遅くても何人も飛ばして早く診察するとか、検査を早く行うとか、ありそうには思えますが、そのようなことはありません。診察の順番をやむをえず変えないといけないとか、収容する病室が個室でなければいけないとかは、患者さんがいわゆるVIPかどうかではなく、患者さんの病状が急を要する状態かどうか、あるいは個室でなければ診療するのが難しいかどうかによります。病院ではしばしば、「私よりも後で受け付けた人の方が先に診察に呼ばれた。おかしいのではないか」というような投書がありますが、それは「後で受け付けた人の方が急病で手術が必要かもしれないケース」や「たまたま検査結果が早く出たケース」などだと思います。また、患者さんは「重病ではないこと」を誰しも望んでいると思いますが、そのことを「忖度」して、重病の患者さんに「大丈夫です。重病ではありません」などと話をすることもありません。優しい言葉をかけてあげたいと思っても、現実では厳しい結果を伝えなければならないことなどしばしばあります。「忖度」をしても病気は逃げてはくれないし、病状が好転したりすることはないのです。
 そもそも誰に対しても「相手の心を思いやり、できる限り気持ちに寄り添う対応をする」ことを心掛けていればいいのであって、みんながそのように対応すれば、「忖度」と言う言葉はいずれ消えてなくなると思います。やはり、「打算」が働くとロクなことにはなりません。何があるか分からない近道を歩くより、いくら回り道をしても安全な道を歩きたいと思っています。バカ正直という言葉もあり、正直だけで世の中を渡れば「Happy」な人生が送れるかどうかは分かりませんが、打算や損得だけの人生では美しい景色が見られないのではないでしょうか。  

福山市 病院事業管理者 高倉範尚

No177 平成の30年

2019年4月3日

  4月1日に新しい元号が発表されました。新しい元号は「令和」、出典は万葉集で、「人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つ」という意味を込めたそうです。いよいよ平成もあと1ヵ月を残すのみとなりました。
 私は30年前の1月7日に当時の小渕官房長官が「平成」と書かれた額を掲げられ、「新しい元号は平成であります」と言われた場面をよく覚えています。このたびの天皇退位が決まってからも、このシーンはしばしばメディアで目にしましたが、生まれて以来、元号は昭和しか知らなかったので、「平成」の二文字は新鮮に思えました。
 そして始まった平成、皆さまにはどのような時代だったでしょうか。いろいろな角度から「平成時代」を考える文章やTV番組をここのところ目にしましたが、確かにさまざまな災害、事件が多かったように思います。何と言っても大きな地震が幾度も起こりました。なかでも平成7年の阪神淡路大震災、平成23年の東日本大震災では多くの人が犠牲になりました。原発事故の解決まではまだまだ長く時間がかかるようです。また近年の異常気象による豪雨災害も珍しくなくなってきた感じすらしています。その他、平成7年には、本当に日本で起こっていることなのかと、とても信じられない地下鉄サリン事件が起こりました。海外ではニューヨークの世界貿易センタービルへの飛行機突入テロも平成13年の事件でした。ライブの映像を見ましたが、最初は映画かと思いました。さまざまな格差・差別が深刻となり、人類の寛容な心が変質して、想像すら超える世界に入っているようにも感じています。
 天皇陛下は平成の30年を振り返られ、「初めて戦争を経験せぬ時代を持ったが、災害が多い時代であった。しかし、その中でも懸命に耐えぬいている被災者、またさまざまな形で被災者に寄り添う国民の姿は忘れ難い」と述べておられました。また、天皇、皇后は先の戦争の多くの激戦地への慰霊の旅も続けておられました。私にはお二人にとっての平成は、昭和の時代の代償を全身に背負われておられた30年だったように思えます。退位をされた後はこれからの人生を十分に楽しんでいただきたいと心から願っています。
 私の平成は外科医として独り立ちをし始めた頃から始まりましたが、まだまだ手術も未熟で術後管理の技術・知識も不十分であったように思います。そして数年経つ頃から外科医になりたての若い医師の指導を行うようになり、教育の楽しさを覚えました。短い間、大学での勤務も経験しましたがほぼ市中病院での勤務を行い、考えてみれば平成の殆どの期間は単身赴任生活を続けていました。そして現在は臨床からほぼ引退し、病院事業管理者としての職務を遂行しています。意識をしないうちに子どもたちも独立し、私の平成は、大きな「災」もなく幕を下ろしそうな感じです。
 私の勤務している病院は、1977年(昭和52年)に開設しました。平成元年4月1日は300床、15診療科、医師数27人の病院でしたが、30年の間に506床、28診療科と規模も大きくなり、医師数も150人を超えました。医療も大きな変貌を遂げようとしています。一つの医療機関で治療を完結(病院完結)するのではなく、それぞれの病院が医療機能を分化させ、またお互いが連携をして、地域全体で患者さんを治療・ケアする「地域完結型」の医療へと変わってきています。
 また、医療と介護、医療施設と療養施設も一体で、さらに言えば自宅のベッドさえも医療資源、病床と捉えられるということです。高齢者が増加し、見守る家族も近くにいない、これはもう地域で支えあうしかないと思います。
 そしていよいよ5月から新しい令和の時代が始まります。どのような時代になるのでしょうか。医療の世界もいろいろな領域で人工知能(AI)が活躍するようになると思われます。現在は医師不足の地域であっても、それなりに満足できる医療が提供できる時代が来るかもしれません。この先の時代を楽しみに、もう少し頑張ってみたいと思っています。  

福山市 病院事業管理者 高倉範尚

 


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