月見櫓
印刷用ページを表示する 掲載日:2013年1月1日更新
もと京都伏見城内にあったものを移築したもので、本来は着見櫓のことであるとも言われている。
追手側(南側)も入江方面も展望できる南東隅に築かれ、藩主などの到着を見極める役割をなしていた。
1階南側に石落としがあり(実際の石落とし機能は不明)、古い建築様式をもっている。
明治初年頃取り壊されたが、昭和41年秋、天守閣とともに外観復元、
現在は貸会場として利用されている。
2階貸会場
もと京都伏見城内にあったものを移築したもので、本来は着見櫓のことであるとも言われている。
追手側(南側)も入江方面も展望できる南東隅に築かれ、藩主などの到着を見極める役割をなしていた。
1階南側に石落としがあり(実際の石落とし機能は不明)、古い建築様式をもっている。
明治初年頃取り壊されたが、昭和41年秋、天守閣とともに外観復元、
現在は貸会場として利用されている。
2階貸会場