福山城の歴史について
印刷用ページを表示する 掲載日:2013年12月2日更新
福山城の歴史
福山城は徳川幕府から西国鎮護の拠点として,譜代大名水野勝成が元和5年(1619年)
備後10万石の領主として入府し元和8年(1622年)に完成した城で、
江戸時代建築最後の最も完成された名城としてたたえられていました。
また伏見櫓は築城の際に、京都伏見城の「松の丸東やぐら」であった遺構を
徳川秀忠が移建させたもので白壁三層の豪華な姿に桃山時代の気風が伺えます。
歴代の藩主は、水野家5代、松平家1代、阿部家10代と続き廃藩置県に至るまで
福山城が藩治の中心でした。
明治6年(1873年)に廃城となり、多くの城の建物が取り壊され,
更に昭和20年(1945年)8月の空襲により
国宝に指定されていた天守閣と御湯殿も焼失することとなります。
その後昭和41年(1966年)の秋に市制50周年事業として天守閣と御湯殿、月見櫓が復元され,
天守閣は福山市の歴史を伝える博物館として藩主の書画・甲冑など展示しています。
明治頃の城下町と福山城
戦前の福山駅
昭和10年頃天守閣 戦前天守北面
戦前天守・3階写真 戦前天守最上階