≪地域おこし協力隊インタビュー企画≫まちの人とつながる暮らし
今回は、鞆町で高齢者の暮らしを支援する施設「鞆の浦さくらホーム」で働く羽田知世さんに、まちの人とつながる暮らしについて伺いました。
これまでのご縁をつないで暮らせる施設
─さくらホームはどういった施設なのでしょうか?
今年15周年を迎える施設です。「家族と結ぶ、地域と結ぶ」を理念とし、その人らしさを発揮できることを大切にしています。施設に入っても、家族と過ごしたり、お友達に会いに行ったり、これまでのご縁をつないで暮らしていけるようにしているんです。
─いい意味で、あまり施設らしくない建物ですね。
ええ、ここは築100年以上の古民家なんです。そもそもはこの建物を守りたいと思った施設長、私の母が、直感で買ったのがきっかけ。自分ができることを考えると、それまで続けてきたリハビリの仕事に関することしかないと思い至り、お年寄りの暮らしを支援する施設にすることになったんです。
▲築100年をこえる建物は、訪れる人全てを温かく迎えてくれる。
―今のような施設の理念でやろうと決めたきっかけは?
祖父を介護していたときのある出来事がきっかけでした。祖父は、男気があって友人も多く、酒もよく飲みよく遊ぶ人でしたが、車椅子で暮らさざるをえなくなったとたん、地域の人たちの接し方が変わってしまったんです。施設長は、それが気になっていて、なぜかと考えてみると、どう接していいかわからないからではないかと(施設長は)思ったそうです。地域に根差して、介護や福祉のことを発信することで、まち全体の雰囲気が変わっていけばいいなと。
世界で一番幸福度が高い国で学んだこと
─羽田さんはなぜ、今の仕事を選んだのですか?
そもそもは、母がずっとこのリハビリの仕事をしていて、とても楽しそうだったからだと思います。仕事の話を家でも楽しそうにしていたし、職場の人が家に遊びに来ることもしょっちゅう。「これからは女性も資格を持って、自分の力で生きていけるようにならないといけない」なんてことも言っていました。そんなことが影響したのか、自然とこの道を選び、進学していました。
▲鞆の浦さくらホームの羽田知世さん。
─すぐに鞆に戻ってきたわけではないんですよね。
はい。4年くらいは岡山県にあるリハビリ専門の病院で働いていました。その時の経験ももちろんですが、かなり影響を受けた出来事があって。鞆に戻る前に、ワーキングホリデーでデンマークへ1年くらい行っていたんです。デンマークは福祉の先進地で、世界で一番幸福度が高い国とも言われています。
私が興味を持ったのは、障がいを持った人と、いわゆる健常者との壁が薄いということ。そこでホイスコーレ(※)という社会人が学べる教育機関に行きました。デンマーク人と留学生、障がい者が同じ比率の施設で、身体の自由が利かなくても、海に入ったり山に登ったり、海外旅行へ行くことが当たり前で、そのことにはすごく驚きました。
日本では「そんなこと無理にせずに、じっとしてなさい」という感じですよね。できる可能性が広がっているのに、小さい世界で過ごしていることが多いことに気づきました。介助も、自分ができないことを伝え、手伝ってもらうという関係性で、してもらう側も申し訳ないという気持ちではなくて、平等な感じがいいなぁと思いました。
※ホイスコーレ
全寮制の成人教育機関。主に4か月から6か月のコースで、文学、語学、音楽、環境、哲学、スポーツなど、学校ごとに複数のコースが定められ、教科は多岐にわたる。教師と学生が平等な関係の中で相互に学ぶことが重要な理念のひとつであり、授業では自由な対話が重視される。入学試験を含めたテストや成績評価はない。また全寮制であるため、授業外でも学生や教師が生活の多くの時間を共にする。政府から思想的に独立した私立学校で、国籍にかかわらず、学生は学費の一部のみを負担する。17歳半以上であれば国籍、宗教、民族とは無関係に入学可能で、国外からも多数の学生を受け入れている。(引用元:http://epmk.net/yukiyamamoto/)
▲利用者の方と談笑する羽田さん。
自分の役割は、町の人とつながること
─そして、その経験が鞆でも生きているんですね。
人の見方さえ変われば、障がいがある人もどんどん社会とつながれると感じたことは、今もすごく生きていますね。どんな境遇にある人でも、「普通に」暮らしていけるようになったらいいなと思います。4月からはジェラート店を引き継ぎ、障がいがある方が働く場になります。住んでいる町で暮らし働くという当たり前のことを誰もができるようになったらいいなと思って取り組んでいます。
▲4月にオープンした「Flat-鞆の浦ジェラート-」
─駄菓子屋もされているそうですね。
さくらホームに入られて空き家になったお宅を、地元の高齢者や子どもたちが憩う場にしたいと駄菓子屋にしました。地元の方が店長をしてくださっていて。その方と話すのを楽しみに来ている人もいます。子どもたちにとっても高齢者や認知症の方と関わる良い機会になっています。
▲毎日さまざまな人が立ち寄る駄菓子屋「あこう屋」
―この仕事をする上で一番大切にしていることは?
町のことに関心を持っていろんな行事に参加して、いろんな人と知り合うことです。身体が弱って高齢になって施設で初めて出会うのではなく、元々元気な頃からその人のことを知っているのが大事なんだろうなと思うので。みんなそれぞれ役割がありますが、私の役割はそれだと思っています。こういう姿を見て、介護っておもしろい仕事だなと伝わったらいいな。
─「まちの人とつながる暮らし」。羽田さんのお話からまたひとつ、福山らしい暮らしのヒントが見えました。福祉という言葉は、高齢者や障がい者のことだけの言葉のようですが、本来は「幸せ」を意味する言葉だと聞いたことがあります。羽田さんの活動は、施設だけでなく、まちの幸せに貢献する、広い意味での“福祉”であるように感じました。どんな立場の人でも、楽しくいきいきと暮らせるまちでありたいですね。みなさんも、身の回りのできることから始めてみませんか?