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第11回「ふくやまピース・ラボ」が開催されました!~戦争遺跡巡り~
第11回「ふくやまピース・ラボ」が開催されました!
被爆・福山空襲70周年の記念事業として,“平和について学び,考え,広く発信していこう” と市内の中・高・大学・専門学校生を対象に募集した『ふくやまピース・ラボ』の第11回講座が開催されました。
■ 日 時 : 2015年(平成27年)8月23日(日曜日)9時00分から12時00分
■ 場 所 : 福山市内
■ 内 容 : 「福山市内戦争遺跡巡り」 ~平和を次世代につなぐために~
■ 行 程 :
(1)人権平和資料館,福寿会館,福山城周辺
(2)土橋(吉津町)
(3)光善寺(東町)
(4)福山聯隊区司令部跡(昭和町),中央公園
(5)萬寳山記念碑台座(花園町)
(6)ふくやま陸軍病院発祥記念碑(花園町)
(7)陸軍歩兵第四十一聯隊福山兵営跡(緑町)
(8)福山護国神社跡(草戸町)
◆人権平和資料館で出発式を行いさっそく外へ。晴天です。
資料館を出て東側に進むと,いくつかの慰霊碑がありました。(東部ニューギニア方面戦没者慰霊碑,シベリア抑留者慰霊碑など)
福寿会館,破壊された安部和助別邸玄関を見た後,福山城の方へ歩きました。
◆福山城の戦災石
福山空襲によって燃えた石が赤く変色しています。長時間,高い位置まで炎があたったことがわかります。
◆焼夷弾で破損した土橋(吉津町)
福山空襲によって倒れた民家が石柱に直撃し,火と熱風により変形したまま残っています。上にある火袋は戦後復元されたものです。
◆空襲の被害を受けた墓石・石仏(水野公園)
福山藩主,水野勝成の墓石です。M50の焼夷弾が命中した跡がはっきりと残っています。
◆焼夷弾の傷跡が残る光善寺(東町)
山門と英霊堂のみを残してすべて消失した光善寺。投下されたM17収束爆弾は,設定高度に達すると,集束されている小型焼夷弾M50が散開して落下するようにできています。これにより強固な建造物も崩壊炎上しました。
◆焼夷弾で顔が破壊された大念寺の石仏(若松町)
阿弥陀如来像を本尊とする浄土宗の寺院。空襲により顔の一部が欠けています。
◆福山聯隊区司令部跡(昭和町),ローズコム:母子三人像,噴水池モニュメント
今の聖園幼稚園のあたりに,兵士の徴募を目的として設置された福山聯隊区司令部の門柱が残っていました。
また,ローズコム内の母子三人像,そして空襲時に多くの人が飛び込み熱風から身を守ったといわれている当時の福山遊園地(噴水池公園)にあった噴水部(円形モニュメント)を見ました。
◆焼夷弾の跡が残る記念碑台座石(萬寳山記念碑台座石:ばら公園内)
日露戦争の激戦地(萬寳山)で,多くの犠牲者を出した陸軍歩兵四十一聯隊の兵士を祀るために建てられた石碑です。その台座石には焼夷弾が激突発火した跡がはっきりと残っています。
◆福山陸軍病院発祥記念碑(花園町)
福山歩兵四十一聯隊の衛戍(えいじゅ)病院として創立し,多くの戦傷病者の治療が行われました。福山空襲で,本館を残し病舎は全焼しましたが,病院の発祥の地を示す記念碑が今でも残っています。
◆陸軍歩兵第四十一聯隊福山兵営跡(緑町)
こちらは,将校集会所通用門,陸軍病院側にあった門柱です。旧地より約150m移動していますが,門柱には扉金具も残っています。
◆福山市体育館手前にある神橋
焼夷弾が命中して神橋の表面に焼けた跡が残っていました。
約3時間かけて,福山空襲の傷跡が残る建物,日本軍関係施設の跡地などを見てまわりました。ラボの皆さんも,真剣な表情で各所の解説を聞いていました。「福山にこれほど多くの空襲の跡が残っていることにびっくりした。」「当時の人々は本当に怖かったと思う。二度と繰り返してはいけないと思う。」などという声がありました。
【次回ふくやまピース・ラボ】
日 時 : 2015年(平成27年)9月13日(日曜日)10時00分~12時00分
場 所 : 福山市人権平和資料館
内 容 : 自主講座(どのように戦争の悲惨さ,平和の大切さを発信していくか)