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ゆかりの人 ~磯永吉(いそえいきち)~

印刷用ページを表示する 掲載日:2021年11月11日更新

磯永吉 1 磯永吉 2

「台湾農業の父」「蓬莱米の父」と呼ばれる福山市出身の農学者。

1886年(明治19年)、広島県深津郡福山町字西町(現在の福山市霞町)で生まれ、県内の私立日彰館中学(現在の広島県立日彰館高等学校)を卒業した後、札幌農学校に入学。その後、東北帝国大学農学科(現在の北海道大学農学部)に進み、1912年(大正元年)3月、永吉25歳の時、台湾総督府の農事試験場の技師として台北に赴任しました。

当時、日本は人口増に伴い米不足に悩んでおり米の増産が課題でした。台湾は二期作ができる強みがありましたが、台湾米は長粒のインディカ米で、日本人の口に合うものではありませんでした。永吉は台湾米の交配を繰り返しましたが、丸く粘りのある米の作出にはいたりませんでした。

たどり着いた答えが、ジャポニカ米とインディカ米の交配でした。永吉は品種改良に取り組み、試行錯誤の末、「台中65号」、後に「蓬莱米(ほうらいまい)」と呼ばれる品種の開発に成功しました。永吉はその後も、蓬莱米の品種改良を重ね、食糧不足の解消と台湾農業の発展に大きく貢献することとなりました。なお「蓬莱」とは、中国の神話に伝わる仙人が住む霊山のことで、実り豊かな台湾の異称です。

磯永吉 3

終戦後、12年間にわたり現地で農業指導にあたった後、1963年(昭和38年)に帰国。その後も、日本各地で農業指導を行い後進育成に努めました。

磯永吉 4 磯永吉 5 磯永吉 6

永吉の長きにわたる貢献が認められ、1941年(昭和16年)に勲二等瑞宝章、1966年(昭和41年)には勲二等旭日重光章を受章しています。

台湾で永吉が使った実験室は、老朽化のため取り壊しの計画もありましたが、台湾大学の学生を始め生前の永吉を知る教授らの働きかけにより「磯小屋」として保存されることとなり、学内で永吉の功績を伝える場所となっています。

また同大学では、永吉と同じく台湾農業の発展に貢献した末永仁(すえながめぐむ)とともに、胸像が設置されています。

磯永吉 7


◆参考リンク

ご遺族から福山市にご寄贈いただいた資料をもとに、福山市立大学都市経営学部の八幡浩二教授が「台湾蓬莱米の父・磯永吉の生涯とその功績:展示資料を中心に」と題し論文を寄稿されています。

「福山市立大学機関レポジトリ」へ

http://harp.lib.hiroshima-u.ac.jp/fcu/detail/1218320210413155447;jsessionid=73C08EC7FAD50095039DC8C4A540E25F