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史跡福山城跡保存活用計画を策定しました
史跡福山城跡保存活用計画とは
史跡福山城跡を適切に保存し,次世代へと確実に継承していくため,史跡の持つ「本質的価値」(歴史的役割等)と「構成要素」(歴史的建物,石垣,曲輪,堀等の遺構,出土遺物,周辺環境等)を明確化し,それらを適切に保存・活用していくための方向性,方法,現状変更等の取り扱い基準などを定めたものです。
今後,この計画に従って保存整備基本計画を策定し,保存活用と整備事業を進めてまいります。
福山城の沿革
福山城は,元和5(1619)年,徳川幕府の譜代大名であった水野勝成が「西国の鎮衛」の任を受けて築いた城で,以降,水野家5代,松平家1代,阿部家10代の歴代藩主に受け継がれ,幕末まで福山藩の政治の中心としての役割を果たし,城下町の形成とともに現在の福山市の基礎を築きました。
明治維新後,明治6(1873)年に廃城となり,天守,伏見櫓,御湯殿,筋鉄御門,鐘櫓を除いてほとんどの建物が取り壊されるとともに,本丸を除く二之丸,三之丸は民間に払い下げられました。更に,1945(昭和20)年8月の福山空襲により天守と御湯殿を焼失しました。
1964(昭和39)年,本丸と二之丸が国史跡として指定されると,指定地の本丸,二之丸を福山市が管理保存することとなりました。1966(昭和41)年には市制施行50周年記念事業として,天守,御湯殿,月見櫓などを復興整備し,戦災を免れた伏見櫓,筋鉄御門,鐘櫓とともに福山市のシンボルとして市民に親しまれています。