本文
福山城の古い資料を探しています!
募集する資料
福山城は2022年に築城400年を迎えます。市では国史跡「福山城跡」の保存整備を検討するにあたり,建造物や石垣の保存管理や修理・復元の方向性を定めた保存活用計画を策定します。建造物の復元や石垣の修復については,大きさや外観を分析するための資料が必要です。
建造物の内部構造などが分かる,戦災前の城に関する資料が不足しているため,江戸時代から戦前の古写真や古地図などの福山城に関する資料を探しています。些細なことでも構いませんので,所有されている方はぜひご連絡ください。
福山城とは
福山城は,江戸時代初めの1622年(元和8年),徳川家が西国支配の拠点とするため,譜代大名であった初代福山藩主水野勝成が築いた城です。久松城(ひさまつじょう)・葦陽城(いようじょう)とも呼ばれていました。五層の天守閣と二重の長大な堀を備え,近世の築城技術を駆使した名城でした。
現存する建造物としては伏見櫓と筋鉄御門(すじがねごもん)(ともに国の重要文化財)があり,伏見櫓・筋鉄御門・御湯殿・月見櫓は福山城の築城時に伏見城から移築したものといわれています。
1873年(明治6年)に廃城となり,多くの城の建物が取り壊され,さらに終戦間際1945年(昭和20年)8月8日,米軍のB29爆撃機91機が襲来した福山空襲で,国宝に指定されていた天守閣と御湯殿(おゆどの)も焼失しました。1966年(昭和41年)市制施行50周年を記念して,現在の天守閣と御湯殿,月見櫓が復元されました。
連絡先
管理部文化財課
Tel:084-928-1278
Fax:084-928-1736
その他
参考資料




