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大政奉還150周年記念プロジェクト 幕末維新スタンプラリー開催中!
大政奉還150周年記念プロジェクト
2017年(平成29年)は,大政奉還から150年を迎える年です。
この機会に,京都市をはじめ幕末・維新に活躍した先人たちを縁とする都市が相互に連携・交流を図りながら,先人の歩みの再評価や幕末・維新をテーマとした文化・観光等を振興する事業です。
参画都市(22都市)
京都市,会津若松市,千代田区,品川区,調布市,日野市,上田市,静岡市,福井市,桑名市,大阪市,和歌山市,高梁市,萩市,下関市,宇和島市,高知市,長崎市,熊本市,霧島市,鹿児島市,福山市
幕末維新スタンプラリー
幕末維新の歴史が学べるガイドブックを発行し,参画都市の幕末維新ゆかりの観光資源をPRするとともに,参画都市間の周遊を促進し,各都市への観光誘客につなげることを目的としたスタンプラリーを実施しています。
大政奉還150周年記念幕末維新スタンプラリー スタンプ設置施設
参画都市名 | スタンプ設置施設等 | スタンプデザイン |
京都市 | 元離宮二条城 | 元離宮二条城唐門 |
幕末維新ミュージアム霊山歴史館 | 新撰組の「誠」の旗 | |
会津若松市 | 会津若松城(鶴ヶ城) | 会津藩旗印 |
千代田区 | 日比谷図書文化館 | 江戸城 |
品川区 | 品川区立品川歴史館 | 山内 容堂 |
調布市 | 調布市郷土博物館 | 近藤 勇 |
日野市 | 日野市立新撰組のふるさと歴史館 | 土方 歳三 |
上田市 | 上田市立博物館 | 赤松 小三郎 |
静岡市 | 静岡市文化財資料館 | 徳川 慶喜 |
福井市 | 福井市立郷土歴史博物館 | 松平 春嶽 |
桑名市 | 桑名市博物館 | 松平 定敬 |
和歌山市 | わかやま歴史館 | 和歌山城 |
大阪市 | ※スタンプの設置はありません |
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高梁市 | 備中松山城 | 備中松山城 |
福山市 | 福山城博物館 | 阿部 正弘 |
萩市 | 萩・明倫学舎 | 萩・明倫学舎 |
下関市 | 下関市立歴史博物館 | 高杉 晋作 |
宇和島市 | 宇和島市立伊達博物館 | 伊達 宗城 |
高知市 | 高知市立龍馬の生まれたまち記念館 | 坂本 龍馬 |
長崎市 | 長崎市亀山社中記念館 | 長崎市亀山社中記念館 |
熊本市 | 熊本市田原坂西南戦争資料館 | 横井 小楠 |
霧島市 | 塩浸温泉龍馬公園 | 高千穂峰 |
鹿児島市 | 鹿児島市維新ふるさと館 | 西郷 隆盛 |
スタンプラリー応募締切
2017年(平成29年)12月31日(日曜日)まで(当日消印有効)
スタンプラリー景品
全制覇特別賞 徳川慶喜が大政奉還を諮問した「二条城二の丸御殿大広間」で記念撮影
※普段は廊下からしか見学できません
名人コース(7スタンプ以上制覇) 旅行券50,000円分 1名様
達人コース(5スタンプ以上制覇) 旅行券10,000円分 3名様
手習いコース(3スタンプ以上制覇) 旅行券3,000円分 20名様
応募された方の中から抽選で,参画都市の名産品・オリジナルグッズ等も当たります。(585名様)
当選発表
当選者の発表は,2018年(平成30年)1月下旬頃,発送をもって発表に代えさせていただきます。
注意事項
※賞品の発送先は日本国内に限らせていただきます。
※ご当選の権利はご本人のみ有効で,譲渡・換金はできません。
※ご応募いただいたハガキの返却はいたしません。
※抽選結果に関するお問合せはお受付けできませんのでご了承ください。
※予告なく賞品,対象期間,適用条件等を変更する場合や,中止する場合があります。
※スタンプは,他の用紙の切り貼りは認められません。
大政奉還とは
慶応3年(1867年)10月14日,徳川家第15代将軍慶喜は,天皇に対し,「従来之旧習を改め,政権を朝廷に帰し奉り」とする上表を呈しました。朝廷では翌15日,摂政二条斉敬(なりゆき)ら主要廷臣が集会して協議のうえ,夜になってから,慶喜を御所に呼び寄せ,申し出の趣はもっともであるとして,その受け入れを伝えました。さらに,別に沙汰書を発し,今後,諸大名からの伺いや,命令布達などは,朝廷の議奏・武家伝奏が取り扱うと通告しました。
徳川家が初代家康以来,征夷大将軍として264年にわたって保持していた,国内の行政に関わる権限は,こうして,天皇に移譲されました。その行動が,「大政奉還」と呼ばれるわけですが,実はこの4字熟語は後年に名付けられたものであり,史料上には見あたりません。12月9日に発せられる,いわゆる王政復古の大号令には,「徳川内府(内大臣慶喜),従前御委任大政返上,将軍職辞退之両条,今般,断然聞(き)こし食(め)され候」とあり,「大政返上」という言葉が用いられています。「奉還」は,明治時代になってから,「政権」もしくは「大政」が,将軍から天皇に返還されたのである,という意味を強調するために,そう呼ばれるようになったものです。
いろは丸事件とは
「日本で初めての蒸気船同士による衝突事故」
「いろは丸事件」は,江戸時代最後の年に発生した日本初の万国公法による海難審判事件です。
慶応3年(1867年)4月23日,坂本龍馬率いる海援隊の乗り込んだ蒸気船「いろは丸」が紀州藩の蒸気船「明光丸」と鞆の浦沖で衝突しました。
「いろは丸」は大破し,修理のため当時港湾施設の整っていた鞆の浦に向かって曳航されましたが,途中で沈没しました。
坂本龍馬ら海援隊と紀州藩士が鞆の浦に上陸し,談判を重ねましたが,決着せず,紀州藩は4日後に長崎に向けて出航しました。坂本龍馬らはこれを追って長崎に移動し,談判を重ね,決着させました。
鞆の浦には,談判した建物など「いろは丸事件」ゆかりの施設が現存し,坂本龍馬が寝泊まりしたと伝わる「隠し部屋」も見学することができます。