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福山古墳ロードBコース
福山古墳ロードBコース
福山市北部の主だった古墳や遺跡を探索できます。
探索順路全長7.3km 探索時間4~5時間(目安)
(備陽史探訪の会・文化振興課)
START
福山駅観光案内所
JR福塩線で25分
JR駅家駅
バスで5分
1:服部大池
江戸時代初め,福山藩が領内の農民を動員して築いた農業用のため池で,瀬戸池,春日池と共に備後三大大池と呼ばれる。工事は大変な難工事であったといい,人柱伝説が伝わる。
徒歩10分
2:門田朴斎の墓
門田朴斎は江戸時代末期に活躍した儒学者。菅茶山の廉塾で学び,33歳のとき福山藩に登用され,後に阿部正弘の侍講となり,晩年は藩校誠之館の教授として活躍した。
徒歩10分
3:須佐能表神社
中世,法成寺で疫病が流行したさい,新市町戸手の牛頭天王社から御分霊を勧請して創建されたという(広島県神社誌)。境内には明治時代に合祀された「株荒神」が祀られている。
徒歩2分
4:門田屋敷
江戸時代に大庄屋を勤めた門田家の屋敷跡。屋敷内から平安時代の古瓦が出土し,「岡の御堂」と呼ばれる事から古代寺院の跡とも考えられている。
徒歩5分
5:山の神古墳
直径12mの円墳と考えられる。石室の奥はドーム状に石が積まれており,県内では最古級の片袖式横穴式石室で,馬具や鉄製斧などが出土している。
徒歩15分
6:法成寺八幡神社
戦国時代末期,石成庄の鎮守当島八幡社(駅家町上山守)の分霊を祀ったものと考えられる。荒米の粉を水と油でねって作った「おまがり」を供える特殊神事で知られている。
徒歩3分
7:小糸城跡
「小井城」とも呼ばれ,丘陵突端を利用した館城と考えられる。南端の主曲輪周辺には古墳時代の円筒埴輪列が存在し,大古墳の墳丘を利用して築かれた中世城館跡である。
徒歩10分
8:掛迫第6号古墳
三角縁神獣鏡が出土した前期末葉古墳。埋葬施設は二基の竪穴式石室で,人骨・ダ龍鏡・硬玉製勾玉なども出土している。前方後円墳と考えられるが,円墳説もある。
徒歩10分
9:掛迫城跡
神辺平野北縁の丘陵を利用して築かれた中世城館跡で,室町時代,この地に本拠を置いた宮法成寺氏の本拠と考えられる。丘陵上に曲輪跡や堀切・土塁が良好に残っている。
徒歩15分
10:粟塚古墳の丘
最高所に築かれた円墳と小さな横穴式石室をもつ四基の古墳で構成された古墳群で,工事で撤去された竪穴式石室や横穴式石室が移建され,古墳公園となっている。
徒歩30分
11:猪ノ子古墳
【県史跡】
埋葬施設に,地方では数少ない花崗岩の切石を組合せた横口式石槨(せっかく)をもつ円墳で,飛鳥時代に築かれた終末期古墳と言われている。
徒歩15分
12:石鎚山古墳群
【県史跡】
第1号古墳(直径20m、高さ3m)は,墳丘の裾と中腹斜面に列石を巡らせ,2基の竪穴式石室があります。第2号古墳(直径16m、高さ3m)は,組合せ式木棺と,割竹式木棺の2基の土坑があります。 第1号古墳からは,斜縁二神二獣鏡・玉類・鉄剣・鉄鏃、銅鏃,第2号古墳からは内行花文鏡の破片・刀子が出土しています。築造年代は第1号古墳が4世紀後半,第2号古墳が4世紀末から5世紀初頭頃と考えられます。出土遺物は県重要文化財に指定されています。
徒歩15分
13:中谷廃寺跡
【市史跡】
暮待寺とも呼ばれる中谷廃寺は,奈良時代前期(7世紀後半)に創建され平安時代後半まで続いた寺院跡です。発掘調査の結果,西に塔,北に講堂が検出され,東に金堂を配置する法起寺式伽藍配置の寺院であったと考えられます。この地域への初期仏教文化の伝播を知る上で貴重な遺跡と言えます。
徒歩5分
14:亀山弥生式遺跡
【県史跡】
標高37.5mの亀山丘陵には,備後南部に弥生文化が伝えられた紀元前3世紀頃の初期農耕集落が作られました。1980(昭和55)年からの発掘調査では弥生時代前期から中期の三重の環濠集落( かんごうしゅうらく),東斜面では環濠の外側で全国で2番目に古い土塁も発見されました。古墳時代中期になると,丘陵上には短甲(鎧)・鉄刀・鉄剣などが出土した亀山第1号古墳が造られ,この時代の神辺平野東部を統率していた武人の性格を持つ支配者の墓と考えられます。
徒歩10分
GOAL
JR道上駅