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羽田市長語録 鞆への思い

印刷用ページを表示する 掲載日:2013年12月8日更新

 鞆の現状とまちづくりの必要性について

 行政もそして住民の皆様も思っているのは,「安心・安全に暮らせるまちづくり」ということではないかと思っています。 現代の環境の変化の中で,自分達の子や孫が住み続けられるようなまちにしたいという思いがあります。そういう思いの中で,埋立架橋をはじめとしたまちづくりは大多数の住民が待ち望まれているものです。まずは住民が生活するための環境整備が必要だと考えています。
 鞆には,通勤時の道路の混雑,下水道の未整備,台風時の浸水など生活環境の問題がありますから,「安心・安全に暮らせるまちづくり」,生活環境の整備ができれば,自分達の子や孫に住み続けてもらい,伝統・文化を引き継いでいけるという強い思いが住民にあります。そういう思いを受けて,今の生活する上でのマイナス面をプラスにする。 そうすることで鞆の歴史的な資源を有効に活かすことも同時に考えられるのではないかと思っています。

社会状況の変化と鞆の発展

 鞆のまちは,人口減少,高い空き家率など色々な問題を抱える中で,歴史的なまちとして年間100万人以上の観光客に来ていただいています。 海の利があり古くから潮待ちの港として栄え,歴史が残されたわけです。こういう伝統のあるまちに人が住めなくなる状況は,おそらく20年30年前には考えられなかったと思います。 生活する上での社会状況が大きく変化する中で交通が海運から陸運へと大きく転換し,モータリゼーションが進んだ。その中でそれを受け入れるだけの体制づくりができていなかったことが, 鞆のまちの発展を阻害する大きな要因になっているのではないかと思います。

人が住んでこそ「まち」

 人口が減るのは早いですよ。増やすのは大変ですが,減りだすと急激に減りますから,そうなった時に伝統・文化を誰が存続するのか, 担い手はいないじゃないかという危機感があります。町並みにしても,伝統行事にしても,そこへ人が住んで,住んでいる人の息吹が聞こえることによって,まちは保持され,継続されるものだという信念を持っています。
 鞆には,1月から12月まで,お弓神事とかお手火とか祭りがあって,そういう行事を我々が守っていくという郷愁があるんですよ。 だからできるだけ鞆に住みたい,住み続けたいという思いがあるんですよ。

生活を守り「まち」を守る

 鞆が抱える様々な問題を抜本的に改善するため,橋を架け,生活道路を確保し,関連する基盤整備を進め,更に防災対策も行います。 こうすることで生活する人々の安心・安全が確保できます。 そして通勤ひとつとっても,鞆に住んで,鞆の人情に触れながら,福山などに通勤できるような環境整備ができます。 そうすれば鞆に住んでいただけるようになるだろうと。自分達の子どもや孫が住んでいただけるようなまちになると。
 鞆には一時期1万人を超す人口がいましたが,今は5千人を切っています。私は昔のように1万人を超えるような人に鞆に住んでもらおうとは思っていません。 今の鞆の町並みを守っていくには,住民もそれなりの負担を伴うよと,それなりの覚悟をしてくれよと,そういう中で,行政とともにまちづくりをしていこうと。 そういう流れの中で,鞆のまちを守っていくために,鞆には何人の住民がいればいいのかということになると,1万人を超えるような人はいなくていい。昔のことを もう一回とは思っていませんから,家の戸数も知れていますから。
 お手火や八朔の馬出しでも,地元以外の子も参加させようと。それはそれでいいんですよ。 でもやはり鞆の人からすれば寂しいと思いますよ。鞆で生まれた子がもっと出てほしいと思うんですよ。それがやはり,架橋をどうしてもやってくれという人の思いの表れではないかと思っています。 

鞆の風情

 子どもの頃というのは,ずい分情緒があったと思うんですよ。7月7日の七夕の日なんはかは,僕らも小さい頃,笹を刈ってきて, 網とか鯛を作って,軒並み軒先にずらっと並べていました。それを見に行くのが子どもの頃非常に楽しみで,町中を歩きました。 今では考えられないですけど「ここのはいいなぁ」とか「うらやましいなぁ」とか,近所のおじさんと両親が話をして,昔作っていたものを 教えていただいて,作って「どうだ,うちの七夕は!」なんて自慢してましたよ。ですから,あの日というのは朝から出っぱなしですよね。 そんな時代でしたよ。
 その頃は,小さい家がほとんどなんですけれども,あの頃は空家なんてほとんどないし,夕方になると涼み台が出て,そこで将棋をさしたりとか, 私らも将棋を見たり,子どもができる挟み将棋とか金ころがしとかやって,遊んでましたよね。それと,今でも覚えているんですが, 氷屋が巡回用の自転車に乗って,各家や店へかき氷を運んでいったりですね。昔は映画館が2軒ありましたからね,私の両親などは,ナイトショーなどを観に行ったり,まちの中は活気に満ちていましたよ。人が1万人以上いたわけですから。車はもちろん通ることはないし,自転車ですよ。 だから自転車とぶつかって怪我することはありましたけどね。

鞆港の現状について

 私が子どもの頃は,排水というのは,内港,例えば,石井の浜や原の浜へ流していました。魚料理をした後のはらわたとか,米や野菜の残り物とかは,港へ流れて,魚の餌になっていました。それで魚もたくさんいました。 ところが今の排水は,生活様式が変わって合成洗剤などが使われていますから,そのまま排水を流し続けると,循環せずに溜まるわけですから鞆の内港は「死の海」になってしまいます。 昔は港の辺りにはサヨリもギギもたくさんいました。港の中にも魚がたくさんいました。アサリもたくさん掘れた。 そういうことは,今ではもう昔話になっています。そういう時代の排水と今の時代の排水というのは,全然違うのではないかと思うんですよ。
 流す生活排水も違ってきていますが,下水道が整備されていませんから,排水は海へ垂れ流されています。 今の時代の排水の考え方は,海へ直接流すのではなく,下水道を整備してきちんと処理するというのものですから,その点は理解していただけるものと思っています。

鞆の空き家率について

 鞆の空き家率は高くなっています。木造の家ですから,空き家の状態が何年も続くと,空気の入れ替えなどをこまめにすれば違うと思いますが,荒れてしまいます。 木と土と紙でできた家ですから,早く荒廃します。今住んでいるお年寄りの方などは,鞆の持つ人情というか,そういうものにすがって生きておられる。 その良さというものが,鞆に住む要因だと私は思います。それが,若い人になると,生活とか色々なものがあります。今の町の大多数が狭い家ですし,浄化槽や下水等の問題もあります。そういう部分からすると福山で仕事をするには鞆より近い水呑の方へ出るという方もいます。そういう中で,空き家率や高齢化,人口減少が著しくなっています。
 30年,50年前と比べると社会情勢が変わって,まちの住環境が若い人に受け入れにくくなり,鞆のまちに住める状況が少なくなっている。 そういったマイナス面が出てきて,高齢化や空き家率など色んな問題が出てきているんではないかと思っていますので,それを解消して,鞆の万葉の時代からの歴史を再生していきたいという思いがあります。

観光地としての鞆

 観光客の多い時期に鞆の道を歩いていますと,観光客は車が通るということをあまり意識しませんから, 道の真ん中を通ります。すると車が来る度に後ろからクラクションを鳴らされて,家の軒先にへばりつくようにして避けられている。その様子を見たときに, せっかく多くのお客さんに来ていただいているのに,こういう危険な状況で「本当に観光のまちと言えるのか」と思っていました。
 それと,鞆には高齢者の方もたくさんいらっしゃいますから,電動の車椅子で移動されている方もいらっしゃいます。そいういう方にとっても,安全性など色んな意味で,どうなのかなという思いは,ずっと前から持っていました。

歴史的町並みの保存について

 まずは鞆の伝統的建造物群保存地区に残る江戸時代,大正時代の町並みを守っていきたい。将来的には,一歩まち中に入るとノスタルジーが感じられるまち, 江戸末期あるいは大正時代にタイムスリップしたような,そういう町並みを作っていきたいと思っています。
 全体的なビジョンとしては,鞆のまちというのは,七卿落の中村家や伝統的建造物群保存地区だけではなく,狭いといいながら祇園さん(沼名前神社)や安国寺もあります。そういう面的な広がりを,皆さんがよくいうスローライフなどに,どういう形で直結していくかということも 課題と捉えています。
 鞆の町並み,伝統・文化なども含めて,そこに人が住んで守ってもらいたいと思っています。

歴史的港湾施設の保存と防災対策について

 歴史的港湾施設5点セット(常夜燈,雁木,船番所跡,波止,たで場)については,我々としては,きちんと守る。ただ,老朽化したり,雑然としている現状がベストかという議論になると,「そうですね」とは言い難いですね。 時代の流れに応じて住民が不便なところに手を加えていく,その中でできる限り歴史的なものを残していくというスタンスは, これまでも表明しているとおりです。残された歴史的資源と現代の文化を上手く調和する方法を考えなければならないと思っています。
 頑なに今のままがベストだと言われると,例えば雁木の周辺の家屋などは高潮ですべて浸水します。一番残念に思うのは,仙酔島が見える県道沿いです。ずい分高い防潮堤が できています。私の学生時代には何もありませんでした。夏の夜に涼みながら歩いていると,海が見えて,弁天島の灯りが映えて素晴らしいところだと誇りに思っていました。 あの周辺の家の方々は台風が来る度に床上浸水に遭っていました。自己防衛として,普段は穴を開けておいて,高潮などの時には,その穴に板塀を立てて防御していました。 その対策として,あの防潮堤を造りました。景観のことを言うのなら,そのことは残念だと思います。雁木のところも同じ状況です。 港の中では大きな台風が来ると必ず影響が出ます。周辺の住民の安心・安全を確保するためにはどうすべきなのかということは,行政の大きな課題と捉えています。

鞆の活性化について

 活性化をどういう視点で捉えるか,福山市も色んな地域を抱えて努力しています。「市長,手を貸してくれ」ということもあります。 ただ,地域の人にも色んな思いがあるので,それが全体としてのまとまりにならないところもあります。
 鞆では,1万3千人を超えていた人口が5千人を切り,高齢化率,空家率がずい分高くなってきました。このままでは鞆のまちはどうなるのかな, 人が住んでくれるのかなという思いがあります。鞆には様々な伝統行事があります。ひな祭りがあります。お手火もあります。八朔の馬出しという,昔の伝統行事を復活させました。 地域の方々が一生懸命に頑張っています。鞆というのは,歴史の中で色んな人々が行き交った潮待ちの港で, その時代々々の背景というものが近世に至るまであったと思います。 その中には,これまでの歴史の中で蓄積された資源がたくさんあります。
 このまちの歴史的な建造物などはもちろん,伝統,文化を守れるまちづくりをしたいと思っています。そういう切実な思いから,8割以上の人,時には90数パーセントの人が,この事業を切望していると思っています。
 地域の中での過疎対策については,行政ができることには限界がありますから,住民自らが工夫をしながら汗を流すことで活性化していくことが大事だと思っています。そして行政は,住民と協働しながら生活環境などの整備に取り組んでいくものと考えています。
 鞆のまちは,福山市だけでなく日本としても歴史・伝統のあるまちだという評価を受けているわけですから, そのまちを人が住めないまちにしたくないという,行政としての思いもあります。同時に,住んでいる方々も, 今ある伝統・文化を継承するために,自分達の子どもや孫が住めるようなまちにして欲しいというのが,埋立架橋の発端だと思っています。 生活者の切実な思いを受け止め,全力を尽くしています。

鞆の歴史と新たな景観の調和

 景観について,私はいつも思うんですけど,地域にはそれぞれの景観があって,「今のままずっと何もしないのがベストなのか。」と思うんですよ。 鞆の歴史を調べていただけば分かるんですが,昔は七つの島からできていたんですよ。 この40年50年の間にも,鞆支所の辺りはずい分変わりました。支所の前は昔は海で,今のように県道は無かったわけですから。
 鞆の港も昔から今の形があったわけではなく,潮待ちということで船で人が来るようになった。蔵もたくさんあったし,遊郭もあった。来た人には泊まってもらおうと, そういう中から,安心・安全に来ていただこうと港に波止を作った。時代々々の地域に住む人々の色んな思いや知恵で,まちは変わっていくものだと思っています。
 鞆の人にとって景観を壊すという話もありますが,今のままでベストなのか,生活者から言えば,やはり基幹道路,生活道路はきちんと要りますと。 そういう中で,今の景観をどう守っていこうかと,みんなで知恵を出して協議した結果,こうなったと思っています。
 時代々々の生活者の視点から,景観と調和を図りながら,まちをどうやって存続,維持していくかということが,住民の方々の知恵だと思っていますし,行政としてもそういう知恵を十分出していく責任,役割があると思っています。
 時代とともに色んなものが景色になじんでいき,新しい魅力もできると思いますし,今住んでいる人々と我々が協働して後世に伝えられるような歴史と現代の文化が調和した景観を 作っていく必要があると思っています。本当に将来に向けた新しい景観として存続でき, この先100年,200年経ったときに景観と調和した橋,新たな鞆の魅力として平成の新たなビュースポットができたといわれるようにしていきたいという思いがあります。