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歴史と鞆
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室町幕府は鞆に興り、鞆に滅びる 足利尊氏から15代将軍足利義昭まで200年以上にわたって続いた「室町幕府」。 |
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秀吉の移動式「能舞台」が今に伝える栄華 沼名前神社の能舞台は、豊臣秀吉遺愛のもの。 |
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頼山陽が絶賛「山紫水明」の地 1814年(文化11年)頼山陽は滞在していた大坂屋の門楼を「対仙酔楼」と名付け、書を残した。 |
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黒船のペリーも絶賛した!? 江戸時代、福山藩を代表する特産品として、幕府への献上品となった『保命酒』。 |
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シーボルトが寄港 「たいへんきれいな町並みで船の出入りがあり活気にあふれた町である」 江戸時代、オランダ商館長の江戸参府に同行したドイツ人医師シーボルトが鞆港に立ち寄ったことを記した史料が発見された。 「江戸参府紀行」シーボルト著斎藤信訳 「…正午ごろ上陸。たいへんきれいな町並みで、船の出入りがあり、活気にあふれた町である。…(略)…手入れの行き届いた住居は裕福なことを物語っており、住民は数千にのぼるようである。われわれは何軒かの家を訪ねたが、心から迎えてくれた。…(略)…」 |