ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 トップページ > 担当部署で探す > 文化振興課 > 先人の努力によって引き継がれた 国重要文化財 伏見櫓・筋鉄御門

本文

先人の努力によって引き継がれた 国重要文化財 伏見櫓・筋鉄御門

印刷用ページを表示する 掲載日:2023年2月1日更新
354

 福山城内の建造物は幾度となく修理されています。幕末の動乱や明治の廃城令で荒廃した後の1897(明治30)年には天守・御湯殿・伏見櫓・筋鉄御門を大修理した記録があります。

 福山城公園内の史跡指定地は整備のための工事であっても国の許可を必要とし,多くの場合,事前に調査をします。築城400年に向けた整備のための発掘調査では,廃城後の歴史を物語るさまざまな物が出土しました。ずっしりと重い焼夷弾の部品は戦中の苦難を,落とし物らしい古びたパスケースや小銭は公園として人々に親しまれ,にぎわっていたことを教えてくれます。

 そのような出土品の中に印象に残るものがあります。伏見櫓と筋鉄御門の間から発見された瓦片です。表面に「昭和二十七年修補」「福山市本庄町吹抜瓦製作所」と刻印されたものがありました。伏見櫓と筋鉄御門は1951(昭和26)年から1954(昭和29)年にかけて解体修理が行われているので,その際に作られた瓦だと思われます。このとき伏見櫓の基礎は正面中央で4寸(約12センチ)沈んでおり,コンクリート地型として石垣の上に据え直されました。

 明治期に修理された天守や御湯殿は半世紀後の1945(昭和20)年8月,福山大空襲で焼失しました。「燃える天守を見た時,日本はもう終わりだと思った」と子ども時代の思い出を話していた人もいます。しかし戦後間もない昭和の瓦からは,残された文化財を次世代に繋ごうとした当時の人々の気概が感じられます。

 

瓦 瓦(拓本)

<出土した瓦と拓本>

文化振興課
084-928-1278

手話通訳/要約筆記の有無: