福山藩の歴史とともにあった 定福寺
福山城の北西、蓮池の南にある定福寺は、福山藩主であった水野家、阿部家両家にゆかりのある浄土宗のお寺です。
定福寺は、慶長年間(1596~1615年)、水野勝成が娘の追善供養のために現在の愛知県刈谷市に創建し、水野家の移封に伴い大和郡山を経て、1621(元和7)年に福山の当地に建立されました。敷地内には、勝成の夫人の墓である大きな五輪塔が2基並んで立っています。2代勝俊の母である香源院於登久(こうげんいんおとく)と、福山城入城後に迎えた勝成の室、良樹院於珊(りょうじゅいんおさん)の五輪塔です。
その後、福山に入封した阿部正邦も、阿部家歴代の祖先の御影堂(みえいどう)を造り、菩提寺としました。1716(享保元)年には2代正福により本堂や書院が再建されて寺観が整い、1860(安政7)年にも7代正弘によって本堂が再建されています。
1868(慶応4)年夏、定福寺で9代阿部正方の葬儀が行われました。正方は幕末の動乱の中、前年に福山城内で亡くなりましたが、跡継ぎがいないためその死は隠され、城内にある小丸山山麓の竹藪に仮埋葬されていました。定福寺から北西へ1kmほどの場所にある現在の小坂山に本葬されたのは、広島藩から養子に迎えた10代正桓が家督を継いだ後の1870(明治3)年のことでした。
1945(昭和20)年8月8日、福山空襲により市内が焦土と化しました。国宝であった福山城天守もこの時に焼け落ち、定福寺も類焼しましたが、今はどちらも建て直され、再び市民とともに歴史を紡いでいます。
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