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旧佐波浄水場をもっと知りたい方はコチラ!!

印刷用ページを表示する 掲載日:2024年8月1日更新

旧佐波浄水場 配水池  ぴゅありー

    【配水池正面(当時)】           【配水池(当時):右】

配水池(当時)    配水池当時右

旧佐波浄水場 配水池は、ろ過して造られた浄水を一時的に貯留するための施設で、1925年(大正14年)9月に建造されました。

幅15.2m、長さ27.3m、深さ3.8mの池が2つあり、当時の約8時間分の浄水を貯留する機能を持っていました。

池底には粘土を敷均してコンクリートを設け、側壁にはコンクリートとその表面に煉瓦が覆ってあります。煉瓦の壁は、長い煉瓦の列と短い煉瓦の列を交互に繰り返す、「イギリス積」と呼ばれる構造になっています。

また、配水池の上部に土を覆い芝生を張ることで寒暑による水の冷熱を避けるとともに、浄水への外的汚染を防ぎ、さらに、煉瓦石のふたの両側及び側壁に換気孔を設けました。

2つの池は中仕切壁によって区画されており、さらに、中仕切壁と対壁の間に、5個の煉瓦石造りの導流壁を突き出させ、その壁間に水を還流させることにより、水の停滞を防いでいました。

入り口には阿武信一市長の直筆で大理石に彫られた「不舎晝夜(ふしゃちゅうや)」の記念額が掲げられています。この言葉には、断水がないことを意味するとともに、建設の苦労、喜び、福山の永遠の発展と市民の幸福への思いが込められています。

【記念額】不舎晝夜(ふしゃちゅうや) 

ふしゃちゅうや

 

 

旧佐波浄水場 浄水井戸上屋(じょうすいせいうわや)  ぴゅありー

 【ろ過池・浄水井上屋(当時)】          【浄水井上屋(現在)】

ろ過池①      上屋現在                

浄水井上屋は、幅3.0m、長さ4.1m、高さ2.6mで「イギリス積」(※「イギリス積」については配水池の説明をご覧ください。)の煉瓦造りであり、屋上部分の小壁と建物の腰部分は石張りでできており、窓台及び扉の上に渡した横木には、石がめぐらされています。入り口と他3面の壁には、縦長の窓があります。

ろ過池でろ過された水は、浄水井を通って配水池へ送り出されます。

ろ過池は、幅23.6m、長さ30.3m、深さ2.5mの池が4池あり、底に煉瓦石、砂利、砂を敷き、水をろ過させました。

3池で当時の人口5万人が使える(1人1日125ℓ)水をろ過することができました。

構造について、池底部は、粘土を敷均しコンクリートを重ね、側壁は、コンクリートで築き、煉瓦石を張っています。

ろ過池の笠石は国の登録有形文化財として登録されていませんが、笠石の一部について、当時の状況のまま残しています。

 

 

旧佐波浄水場 門  ぴゅありー

      【門(当時)】                【門(現在)】

門当時     門現在

旧佐波浄水場 門は、かつて浄水場の正門として1925年(大正14年)9月に建造されました。

現在は、主門の門柱(2本)及び通用門の門柱(1本)が残るのみであり、当時の扉はありません。

主門にあたる一対の門柱は、0.6m角、高さ2.4m、通用門の門柱は、0.4m角、高さ1.8mあり、煉瓦と石を交互に積み重ね、縞状の外観を呈しています。

また、真中の門柱には「福山市水道浄水地」と彫り込まれています。

門浄水地

石と煉瓦張り部分を繰り返すデザインは、大正時代の浄水場の建造物に調和したものとなっています。

 

 

 

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