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福山市水道の歴史(4) 「拡張事業(第1期から第6期)」
印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月3日更新
福山市水道の歴史(4) 「拡張事業(第1期から第6期)」
第1期拡張事業
給水開始からわずか8年で、築造された熊野貯水池の貯水量が不足するようになったため、貯水池の水量を緩和する第1期拡張工事が必要となりました。
【背景】
- 1932年(昭和7年)から1933年(昭和8年)と続いた少雨と干ばつのため、熊野貯水池の(水源池)の貯水量が減少
- 近隣町村との合併による給水区域の拡大に対応する必要が生じた
【拡張事業】
- 芦田川本流河床に、集水管を埋設 ⇒ ポンプにより、ろ過池に補水
- 草戸ポンプ所を新設し、佐波浄水場へ導水する施設を拡張
計画給水人口 | 50,000人 |
最大給水量/日 | 10,000㎥ |
認可 | 1935年(昭和10年)10月 |
【草戸水源位置図】 | 【水源平面図】 | 【草戸ポンプ所】 |
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第2期拡張事業
【背景】
- 戦災復興から発展へあゆみ始めると、急速な人口増加、生活文化の向上、工業用水の増加
⇒ 大幅な給水量の増加により、毎年夏季渇水が発生
用水不足の応急的な解消のため、さらなる拡張工事が必要となった
【拡張事業】
- 芦田川右岸(現山手町)に浅井戸を3基設置(10,000㎥/日取水)
- 草戸ポンプ所増設工事、佐波浄水場内に配水池を新設
- 配水管新設工事
計画給水人口 | 80,000人 |
最大給水量/日 | 20,000㎥ |
認可 | 1952年(昭和27年)7月 |
【本庄水源】 | 【芦田川横断配水管布設工事】 | 【第2期拡張事業施行概要図】 |
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第3期拡張事業
【背景】
- 人口は、市の周辺地域に向かって増加
区画整理事業による工場誘致 - 市町村合併により市域が拡大
⇒ 水需要のさらなる増加予測
【拡張事業】
- 芦田川の伏流水を水源として、本庄町に出原浄水場を建設
⇒ 水源2か所(取水量:35,000㎥/日) - 木之庄町へ配水池を新設し、市内に給水
- 水不足に悩む尾道市への分水
計画給水人口 | 133,000人 |
最大給水量/日 | 55,000㎥ |
認可 | 1956年(昭和31年)4月 |
【出原浄水場築造工事】 | 【本庄山送水管布設工事】 | 【水源・浄水場位置図】 |
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第4期拡張事業
【背景】
- 1961年(昭和36年)の製鉄所の誘致決定
⇒ それに伴う人口の飛躍的増加、生活様式の変化による使用水量の増大に対応
【拡張事業】・・・10か年計画
- 御幸町中津原に浄水場を建設(施設能力:50,000㎥/日)
⇒ 芦田川の表流水を取水し、急速ろ過処理
千田配水池(新設)に送り、自然流下で東南部地区へ給水
計画給水人口 | 236,000人 |
最大給水量/日 | 105,000㎥ |
認可 | 1963年(昭和38年)12月 |
【第4期拡張計画概要図】 | 【取水及び浄水設備計画平面図】 | 【中津原浄水場築造工事】 |
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第5期拡張事業
【背景】
- 高度経済背長が続く中、産業の発展、生活様式の向上
- 人口の増加、下水道の普及などにより水需要が当初の予測を上回る状況
- 松永市と対等合併(全国的に珍しい都市の対等合併)
【拡張事業】
- 中津原浄水場の施設能力を増強(50,000㎥⇒100,000㎥/日)
- 松永地区を給水区域に統合
- 島しょ部(走島町)に給水区域を拡大
計画給水人口 | 279,400人 |
最大給水量/日 | 155,000㎥ |
認可 | 1次:1972年(昭和47年)3月 2次:1973年(昭和48年)3月 |
【導水管布設工事】 | 【急速ろ過池築造工事】 | 【走島への配水管曳航】 |
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第6期拡張事業
【背景】
- 安定給水
- 合併した地域の施設整備
- 未普及地域の解消
【拡張事業】
- 八田原ダム建設(国直轄事業)による水源の確保
- 千田浄水場の建設/出原浄水場の更新
- 中央管理センターによる浄水場の集中管理体制を確立(効率的な水運用)
⇒ 5回の計画変更(低経済成長、省エネルギーの推進などにより、水需要の変化)
計画給水人口 | 445,000人 |
最大給水量/日 | 161,000㎥ |
認可 | 当初:1977年(昭和52年)7月 5次変更:2023年(令和5年)3月 |
【八田原ダム】 | 【千田浄水場】 | 【中央管理センター(中津原浄水場)】 |
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現在、2040年度(令和22年度)を目標年次とする五次変更事業を進めているところです。
福山市の発展に併せて水道事業も拡張されてきたんだね!