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広報ふくやま2021年10月号特集2「知られざる鞆の鉄の歴史 鞆鍛冶」
知られざる鞆の鉄の歴史
鞆鍛冶の関係資料が2021年3月、国の登録有形民俗文化財に
古くから「潮待ち」の港町として栄えた鞆は、多彩な歴史の宝庫であるとともに、現代の備後のものづくりに受け継がれる鍛冶の町でもありました。今回は鞆鍛冶の資料とともに、その歴史を振り返ります。
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鞆鍛冶の起こり
鞆鍛冶の起源は定かではありませんが、備後は奈良時代から三原に刀匠が住み、鞆鍛冶はその分派によって起こったとされています。鞆の銘が刻まれた室町時代前期の刀剣が現存していることから、中世に小鍛冶(刀鍛冶)が盛んだったことは間違いありません。鞆は当時全国屈指の鉄の生産量を誇った中国山地に近く、川や海の水運を利用し、鍛冶に必要な鉄材、燃料、道具などを大量に仕入れることができました。また加工した鉄製品を全国に輸送できる港町だったことも発展した理由です。その後、この地を所領した戦国武将・福島正則が職人を「小烏の森」(現鍛冶町)に集め、数多くの鍛冶屋が繁栄しました。
鞆の小烏神社では毎年12月に例祭「ふいご祭(鉄鋼祭)」が行われています。
船鍛冶の隆盛
江戸時代の泰平の世になると、鞆鍛冶の中心は海運業の発達とともに船に関係した船釘(ふなくぎ)や錨(いかり)などの製造(船鍛冶)へと変遷していきます。明治・大正時代の記録では、船釘・錨の積み出し港として鞆が一番多いことが示され、近代日本の一大産地だったことがうかがえます。手作業的な鞆鍛冶は昭和中ごろまで続きましたが、近代化により製品は伸鉄やシャックル(吊り金具)などが主流となり、1968年、鞆町東北端に鉄鋼団地が誕生。鉄鋼関係の工場などが集団移転しました。伝統的な鍛冶屋はほとんど姿を消しましたが、鞆鍛冶の伝統は現在も鞆の鉄鋼団地や本市のものづくりに受け継がれています。
現在の鞆鉄鋼団地
2021年3月に市民から寄贈された鉄板は天守北側に貼り付けられていた可能性が高いと考えられています
福山城天守北側
鉄板張りは鉄盾が影響した!?
2022年の築城400年に向け、当時の外観復元などが進む福山城天守。全国唯一という天守北側鉄板張りの鉄板は、近年の調査で「鉄盾」と類似していることが判明。森忠政の目付け役として大坂冬の陣に参戦していた水野勝成が鉄盾の効果をヒントに計画した説があります。
徳守神社蔵
鉄盾
津山藩主・森忠政が大坂冬の陣で使ったとされる鉄盾。「鞆で鉄盾が造られた」という文献の記述から、この鉄盾も鞆で製造された可能性があります
刀剣・槍
特に合戦が多かった戦国時代は、鞆でも刀や槍(やり)などの武具が数多く造られました。鞆で造られたことを示す文字が銘に刻まれています
鞆は船釘・錨の生産地として
近世・近代日本屈指でした
国の登録有形
民俗文化財
船釘・錨
これらは昭和50年代に地元住民によって収集されたもの。往時の鞆鍛冶を伝える資料として2021年3月に国の登録有形民俗文化財に登録されました
鞆の浦歴史民俗資料館特別展「鞆鍛冶~船釘・錨の日本一~」
鞆で造られた船釘や錨をはじめ、鞆の銘が刻まれた刀剣など、鞆鍛冶関係資料を幅広く展示。港町として栄えた鞆鍛冶の歴史を紹介します。詳しくはこちら