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第3回「ふくやまピース・ラボ」が開催されました!~「福山市内戦争遺跡巡り」~

印刷用ページを表示する 掲載日:2019年7月10日更新

第3回「ふくやまピース・ラボ~戦争遺跡巡り~」が開催されました

日  時 : 2019年(令和元年)6月30日(日曜日)9時00分から12時00分

内  容 :  福山市内戦争遺跡巡り

行  程 : (1) 福山市人権平和資料館
       (2) 備後遺族会館
       (3) 慰霊碑(捨生取義の碑,メレヨン島戦没者慰霊碑など)
       (4) 備後護国神社
       (5) 防空壕跡
       (6) 福寿会館
       (7) 福山城石垣,福山城

 第3回目の今回は,「ふくやまピース・ナビ」のガイド部会と合同で,福山市内に今もなお残っている戦争遺跡巡りを行いました。

 まずは,福山市人権平和資料館において,本日の講師 佐道弘之さんから「今伝えたいこと」というテーマで講義を受けました。武力によって,平和ではなく戦争へと流れた当時のこと,学問や報道にまでも軍部の圧力がかかっていたことなど,当時,口ずさんでいた歌を交えながら説明していただきました。そして,歌,音楽は,大衆心理を左右する力を持っており,今,考えればおかしいと思えることも当時は,「正しい」,「勇ましい」,「誇らしい」と感じたと,おっしゃっていました。

  講義

 講義が終わるころには,心配していた雨も上がり,ふくやま文化ゾーンにある戦争遺跡をみんなで歩いて巡りました!

「備後遺族会館」

  備後遺族会館  備後遺族会館②

 マリアナ戦跡の遺品(鉄かぶと,水筒,飯ごう,香炉など),戦場へ向かう兵士への寄せ書き,軍服や靴など,当時の様子,家族の気持ちについて話を聞きました。

 

「慰霊碑(捨⽣取義の碑,メレヨン島戦没者慰霊碑など)」

  慰霊碑

 たくさんの慰霊碑があることを知りました。福山に残る戦争碑の中でも最も古いものである,「捨生取義の碑」には, 「自分の命さえ捨てることを惜しまない」という当時の兵士たちの思いが刻まれていました。
 また,メレヨン島戦没者慰霊碑では,飢えとマラリアに苦しみ,多くの兵士が餓死したという悲惨な状況について話を聞きました。

「備後護国神社」

  護国神社

 ここは,戦争により命をおとした人を祀るだけでなく,戦争により大切な人を失った人のための場所だと知りました。

「防空壕跡」

  防空壕

 丘につくられていた防空壕跡は,今は崩落の危険があるため埋められていました。説明を聞くまで,ここが防空壕跡だと分かりませんでした。
 そして,多くの市民が避難した防空壕で亡くなったという話を聞き,空襲の悲惨さを感じました。 

 

福寿会館(安部和助別邸)

  福寿会館

 福寿会館(安部和助別邸)は,福山空襲で玄関,台所,洋風居間,和風居間は焼失しましたが,大広間,広間,西客間,北客間,西茶屋,南茶屋は罹災を逃れたと説明を受けました。現在は,福山市の重要文化財となっています。

福山城石垣

  石垣

 福山城の石垣をよく⾒ると,石の角が丸く,赤く変色し,石がひび割れているものがあるのが分かります。これらは,戦災で焼けた石垣だと説明を受けました。高いところまでこういった石があることから,高く炎が上がっていたことや空襲の激しさが分かりました。

 今もなお残っている戦争遺跡を巡ることで,この街で起きた悲惨な空襲のことを感じることができました。

 参加したメンバーからは,「福山城に行ったことはあるが,石垣をしっかり見ることはなかった。空襲を受けた石垣と受けていない石垣の違いがあることを初めて知り,驚きました。」「福山空襲について,知らなかったことがたくさんあり,新たな発見がありました。」という感想を教えてくれました。

 次回のふくやまピース・ラボは,福山空襲体験者から直接話をお聞きします。
 大変貴重な機会ですので,是非参加し学びを深めましょう!

≪次回のふくやまピース・ラボ≫

 日 時 : 2019年(令和元年)7月14日(日曜日)10時00分から12時00分

場 所 : 福山市人権平和資料館

内 容 : 講義 「福山空襲~8月8日に体験したこと~」 講師:森近 静子さん