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第14回「ふくやまピース・ラボ」が開催されました!~講義「被爆体験 親子の別れ」~

印刷用ページを表示する 掲載日:2020年12月18日更新

≪2020年度≫

第14回「ふくやまピース・ラボ」~講義「被爆体験 親子の別れ」~

 12月13日(日曜日),第14回「ふくやまピース・ラボ」は「ふくやまピース・ナビ」と合同で開催しました。
 広島県原爆被害者団体協議会「被爆を語り継ぐ会」で活動されている廣中 正樹さんから「被爆体験 親子の別れ」というテーマで講義を受けました。

日時 :  2020年(令和2年)12月13日(日曜日)10時00分から12時00分
場所 : 福山市人権平和資料館,備後遺族会館
内容 : 講義「被爆体験 親子の別れ」
講師 : 廣中 正樹さん

◆講義「被爆体験 親子の別れ」(講師:中 正樹さん)

 廣中さんは,1945年8月6日,爆心地から約3.5キロ離れた広島市己斐町(現:西区)で被爆しました。当時5歳でした。今回の講義では,被爆当時の様子や廣中さんとお父さんの別れについてお話していただきました。
広中さん講義の様子

≪講義の概要≫

◇1945年8月6日

 出勤する父に「行って帰り」と声をかけ別れた後,河原で遊んでいました。
 突然,空がピカッと光り,目の前がオレンジ色に染まりました。
 次の瞬間,「ドーン」という音とともに,川下からの爆風で吹き飛ばされました。
 何が起きたか分からず呆然としていると,母から防空壕に避難するように声をかけられました。

 防空壕に避難してから,先に避難しているはずの母と妹を探しました。
 防空壕から空を見上げると,きのこ雲が見えました。
 夕立のように,黒い雨が降り出しました。

 小雨になって,家に戻ると,全身にやけどを負った人が休んでいました。
 髪の毛は縮れ,皮膚は垂れ下がっていました。「水をください」といわれ何杯も水をあげました。その人たちは,少し休んだ後,帰っていきました。

 どの家でも屋根瓦は爆風で吹き飛ばされ,雨漏りがしていました。畳には黒い雨の跡が残り,拭いてもきれいになりませんでした。

 夕方になっても父は帰ってきませんでした。
 そのころ,先生が家に来て「父は小学校にいる」と教えてくれました。
 母と妹と500m離れた小学校に向かいました。校庭には,たくさんのけが人や家族を捜す人であふれていました。
 しかし,小学校でも父は見つかりませんでした。それで「家に帰ろう」と帰りました。

 家に帰ると,暗い家には,全身にやけどを負った父が帰ってきていました。

◇父との別れ

 廣中さんの父は,路面電車で出勤中に被爆しました。熱線と爆風で吹き飛んだ窓ガラスの破片が背中に突き刺さっていました。父に「ガラス片を取ってくれ」と言われましたが,5歳の力ではペンチを使っても取れませんでした。

 翌日,父と母は何かを話している様子でしたが,父は言葉を発しなくなり,死が近くなるのを感じました。軒下で泣いていると,母に近くに来るように言われました。しかし,近くにはいけませんでした。そして,同日,息を引き取りました。

 終わりに,「みなさんも,親からいただいた自分の命を大切にしてください。そして,自分に何かできないか考え,行動できる人になってほしい。」とメッセージをいただきました。

講義の様子

◆参加者の感想 

・当時5歳だった廣中さんの心中は自分には考えきれないようなものだったと思う。
・被爆者から直接,当時のお話を聞くことは初めての経験だったので貴重な経験になった。
・テレビや新聞で見たり,聞いたりした被爆体験もとても印象的でしたが,直接お話を聞くと,それよりも印象深く光景が目に浮かぶようだった。
・廣中さんのお話を聞いて原爆によってどういうことが起きたのか,当時の人々がどういった状態だったのかがよく分かった。
・夕方になっても空にはキノコ雲があったと聞き,すごく怖いなと思った。
・今までも語り部の方から話を聞く機会はあったけれど,今回また新しく聞けたことがたくさんあり,学ぶことができた。
・これから自分にできることをしっかりと考えていきたい。

≪次回のふくやまピース・ラボ≫

日時 : 2021年(令和3年)1月17日(日曜日)10時00分から12時00分
場所 : 福山市人権平和資料館,備後遺族会館
内容 : 1年間の活動を振り返って(1)