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朝鮮通信使遺跡鞆福禅寺境内(ちょうせんつうしんしいせきともふくぜんじけいだい)

印刷用ページを表示する 掲載日:2016年3月31日更新

国指定史跡 平成6年(1994年)10月11日指定

 宿館跡は「対潮楼」といい福禅寺の本堂に接する堂宇で,元禄年間(1688~1703年)の創建と伝えられ,梁間15.4m,桁行14.97m,単層入母屋造,本瓦葺の客殿である。
 ここは弁天島,仙酔島に対する景勝の地にあり,徳川将軍の交代時に来朝した朝鮮通信使が鞆に寄港した際,正使,副使などの宿所に当てられた。ここからの眺望はすばらしく,正徳元年(1711)李邦彦は「日東第一形勝」の大毫を残した。また延享5年(1748年)洪景海の書いた「対潮楼」の書幅や通信使の詩巻などを多く所蔵している。
 なお,朝鮮通信使鞆寄港については,慶長12年(1607年)から宝暦14年(1764年)の間に11回来鞆したことが確認されている。

所 在 地鞆町鞆 福禅寺(対潮楼)
構造・年代元禄年間(1688~1703年)

対潮楼