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水野勝成墓(みずのかつなりぼ)
印刷用ページを表示する 掲載日:2016年3月31日更新
県指定史跡 昭和18年(1943年)3月26日指定
永禄7年(1564年)三河に生まれた水野勝成は,元和5年(1619年)56才で大和郡山6万石より備後10万石の領主として入封した。徳川氏と縁が深く,勇将でもあり,関ケ原の戦での戦功により日向守に任ぜられている。
福山藩の初代藩主となってからは,福山城の構築,新田開発,治水事業,神社仏閣の整備など積極的に領内の治政にあたった。
寛永16年(1639年)家督を勝俊に譲り,慶安4年(1651年)88才で死去,賢忠寺に葬られた。水野家の墓地は賢忠寺の北側にあり,勝成のほか父忠重,三代勝貞,四代勝種などの墓がある。勝成の墓石は高さ5.1mの巨大な五輪塔である。
所 在 地 | 若松町 賢忠寺境内 | |
構造・年代 | 慶安4年(1651年) |