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伝足利義昭居館跡「蔀山」(でんあしかがよしあききょかんあと「しとみやま」)
印刷用ページを表示する 掲載日:2020年11月30日更新
市指定史跡 昭和39年(1964年)3月31日指定
室町幕府最後の将軍足利義昭は、織田信長に京都を追われ、天正4年(1576年)2月8日、毛利氏を頼って鞆に到着している。毛利氏は同年5月13日に至って義昭の命を奉ずることを決意し、毛利氏によって鞆に居宅がつくられた。その後、義昭は天正15年(1587年)上洛するまでの間、鞆のほか津之郷にも居館をかまえたと伝えられる。
また、深津の蔀山にも居館があり、義昭がふたたび備後に下って隠退生活を送ったところと伝えている(福山志料)が、義昭が再び備後に下った確かな証拠がなく、鞆か津之郷在館中の別邸ではないかと考えられている。
所 在 地 | 西深津町字松山 |