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大可島城跡(おおがしまじょうあと) 附 伝桑原一族墓地

印刷用ページを表示する 掲載日:2016年3月31日更新

市指定史跡 昭和39年(1964年)3月31日指定

 ここは南北朝時代鞆争奪の古戦場で,現在は陸続きとなり円福寺が建てられているが,かつては島であり,そこに大可島城があった。
 康永元年(1342年),伊予の南朝軍は西国に勢力をのばそうとして,新田義貞の弟脇屋義助を大将として迎えたが病死したため,北朝軍に伊予川之江城を攻められ苦境に立った。南朝軍は金谷経氏を大将として土居,得能氏らが川之江に援助に向ったが,途中北朝側の備後勢と燧灘で遭遇し大合戦となり,折からの風で鞆方向に流された。そこで鞆を攻撃し占領,大可島を詰城として拠点を構えた。これに対して北朝側は鞆の小松寺に陣し,激戦十余日に及んだが,南朝軍は本拠川之江城危うしの報に,備後服部の桑原重信を残し伊予に引き返した。北軍は桑原氏を滅ぼし鞆は再び北朝側に帰した。世にいう鞆合戦の城跡で,城地にある石塔は桑原一族の墓と伝えられている。

所 在 地鞆町鞆
構造・年代南北朝時代

大可島城跡