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松永上之町共同井戸(まつながかみのちょうきょうどういど)

印刷用ページを表示する 掲載日:2016年3月31日更新

市指定史跡 昭和56年(1981年)2月10日 

 江戸時代のはじめ,本庄重政により松永湾の干拓が開始され,寛文7年(1667年)には塩田48浜が成立したといわれている。こうして新涯地としての松永が成立し,人々は東部の山裾の旧松永湾ぞい(現上之町,中之町,下之町)を中心に居住した。地中に塩分を含むことから,水筋のよいこの地に井戸を掘削し,共同利用した。
 この共同井戸はこうした背景のもとに掘られたものである。花崗岩の石積による大型の胴張円形井戸(径4.2m,深さ4.9m)で,井戸側は長石上に断面台形状の井桁(高さ14cm,長さ160cm,花崗岩)をもちいている。
 長い間松永の人々にとってかかわりの深い共同利用の井戸として親しまれている。

所 在 地松永町上之町
構造・年代江戸時代

松永上之町共同井戸